【歴史のある行事をやめる決断】
この記事にあるように、長年地域で受け継がれてきたお祭りやイベント行事をやめることは、とても大きな勇気と決断が必要となる。
催し物には大きく分けて、
①行事を運営する「主催者・執行部」、
②(乱暴な言い方をすれば)それを見て楽しむ「住民(ギャラリー)」
の立場がある。
また当然開催するために多額のコストが掛かるため、「支援者(スポンサー)」や「自治体の資金面の協力」も求められる。
その反面、何のための行事か?誰のための行事か?これを継承する意味はどこにあるのか?等の基本的なテーマは「昔からやっているから」の理由とともにボンヤリしてしまうのも事実だろう。
地域で自分も忙しい中、行事に参加して伝統を継承する方々には本当に頭が下がる。その使命感が確実に繋がれてきたからこその「お祭り」「イベント」なのだから。
さて、モノに始まりと終わりがあるように、お祭りもいつかは終わりを迎えることは当然である。そして長年続いたモノを自分の代で終わらせることは、ある種の「屈辱」であり「あいつの代でやめた!」と後世に伝えられるかも知れない。
誰しも自分が「トリガー」を引きたくないので、「このお祭り(イベント)、そろそろやめてもいいんじゃね?」との声が出ても、「まあその件は次年度に任せて今年は例年通り…」と相成る。
千年以上続いたこのお祭りを「やめる」と決断した裏には、様々な葛藤があったに違いない。現在、日本で40%のお祭りが、存続問題の渦中にあるということだ。
👤「なんでやめるんだ!」のギャラリーの意見はごもっともとしても、私はその決断に拍手を送りたい。
☝️世の中の団体の中には(皆さんご存知のとおり)
・本会
・女性部
・青年部
・壮青年部
などと、一つの団体の中で細分化された組織がある。これは「各部会が意思決定はしても、最後は「本会」の承認が必要である」とのイメージを感じさせる(本会の重鎮を怒らせるんじゃねえぞ!の意)。
それゆえ、長年続いてきたイベントや花火大会、取ってつけたような「◯◯祭り」を青年部が提案しても、門前払いされるのがオチなのである。
記事のお祭りに対して「復活を望む」との地域の意見もあるようだが、やはり一度中止したイベントをもう一度同じように実施するのは困難であり、物事が終わる時の「お約束」メッセージでしかない。ギャラリーはイベントが続いている間は大人しいが、やめるとなれば大騒ぎする。
👤「やめる勇気」と「やめない勇気」…。
「やめたいけどやめられない忖度(そんたく)」とは似て非なるものである。
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【小林 久ホームページ】
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