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幸せについての展覧会−魂の色は青 黒部市美術館−


先日、知人にお孫さんが産まれた。もうすぐ退院し、赤ん坊のいる生活が始まるらしい。

「おめでとうございます!」と言うと、「腹の中におるうちが1番平和なんやちゃ…」と、どこか遠い目をしながらこぼしていた。赤ん坊の誕生は幸せで尊い事だけど、新生児の威力はハンパない。家中全ての人員が総動員され、猫の手も借りたい位目まぐるしい日々がスタートする。幸せ=楽・楽しい・有頂天、とは限らない。忙しく、慣れるまで大変で、体力の消耗が激しい幸せもある。


幸せになりたいと人は言う。幸せになりたい人、なりたくてもなかなかなれない人にとって、他人の幸せはナイフのようにグサグサ刺さる場合がある。私が学生の頃、「リア充爆発しろ」という言葉が流行った。どうやら幸せな人は爆発しなくてはならないらしい。

ねえ、幸せって何?皆が求めていて、その状態はフィールグッドとは限らず、幸せな顔をして歩けば「爆発しろ」と冗談半分妬まれ、中には冗談ではなく本当に傷ついている人もいて…。

私は“幸せ”という言葉ほど、多義的なものを知らない。人生最大の難問だ。


そんな(私にとっての)最難関の問いに、イヤミなくらいヒョイっと答えを突きつけたアーティストの展示が、黒部市美術館で現在開催中である。
そのアーティストの名は、キュンチョメ。キュンチョメってなんやねん!!どうやら、男女ふたり組のアーティストで、写真や映像作品を制作しているらしい。


展示を見に行った日は快晴で、息子と2人で美術館へ向かった。美術館までの道は海が良く見えて、絶好のドライブ日和だった。
美術館の入口付近に、水が入ったガラスの壺が置いてあった。これは、「一粒の海と歩く」という作品。ガラスの壺の中の水は海水で、一粒すくって手に乗せて、散歩してみませんか?というキャプションが添えられてあった。私たちは何度もすくい、息子は海水の粒が乾いた後の手のひらを舐めていた。しょっぱかったらしい。展覧会は美術館に入る前からスタートしていた。


展示室の中に入ると、大きなスクリーンが3つ。その全てに、海がいっぱい。まるで海の中を泳いでいるかのようで、息子は今まで行った美術展の中で1番楽しそうだった。

ため息をためた風船を抱き、ぷかぷか浮かんでいる様子を記録した、「ためいきでうかぶ」という作品、海で沈みながら祈りを唱え、声が泡になった様子を映像と写真で捉えた「海の中に祈りを溶かす」、そして私が1番キュンときた、「金魚と海を渡る」という映像作品。ビニール袋に金魚と淡水を入れて、金魚と一緒に海を泳いでいくというパフォーマンスの記録。


生命の源である海。海の中で暮らす生き物にとってはホームだけれど、地上に暮らすヒトや、淡水に暮らす金魚にとっては脅威だ。だけど、ヒトであるキュンチョメは海が好きだし、金魚にも見せてあげたかったのではと思う。好きなものを共有したいという気持ちは愛だし、「いつか行けたらいいね。」ではなく、ちゃんと実行に移すのは誠実だ。 

“私も金魚も、海では生きていけないけれど、二人でなら、海を渡れる気がした。”との言葉の通り、実際にはできなくてもできる気がする!というのは、スピッツの“愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ”というアレではなかろうか。幸せとは、強くなれる気がしたという事かもしれない。


キュンチョメのシュールでポエティックなアートを、私はこれからも海を見る度に思い出すだろう。一緒にいて強くなれる気がしたならば、それで良いじゃないか。それは地球の果てまで続く程壮大で、指先に一粒垂らせるほどちっぽけな愛だ。私の魂の色も青になった。


サテライト作品の地球コーヒー(40カ国60地域のコーヒー豆を一粒ずつ使ったコーヒー)も、とっ散らかってて最高でした。また見に行きたいです!

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