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【連載】かなめ珈琲①ランドセルとともに背負った責任感

南砺市・井波にひっそりと暮らす、1人のうつ病患者がいる。私の夫、かなめくんだ。

彼はシングルマザーだった私と結婚し、家事と育児をしながら「かなめ珈琲」という屋号で小さな珈琲屋をやっている。


彼が何故うつになり、何故珈琲屋をやっているのか、妻の私の目線から書いていこうと思う。



■ランドセルとともに背負った責任感

かなめくんは1993年の春、射水市で産まれた。三兄弟の真ん中、三世代同居の家庭だった。

2つ上の兄は重度の身体障害者であり、両親とおばあちゃんによる、痰の吸引などのほぼ24時間の介護が必要だったそうだ。


かなめくん自身も喘息があり、小さい頃は身体が弱かったらしい。が、お母さんに思いっきり甘える事はできなかったようだ。


彼がよく言う言葉がある。

「俺がこの家で初めてランドセルを背負って小学校に行く息子だっていう、責任感があったんだよね。」

“お母さんに甘えたい、だけどしっかり者でいたほうが、誰にも迷惑かけずに済む。”

“テストで良い点を取ったり、活躍したほうが、両親が自分のほうをみてくれるだろう。”

そんな想いをランドセルに詰め込んで、繊細な少年の学校生活はスタートした。



かなめ少年は、喘息を治すために野球を始めた。

「なにか運動をしないといけなくなっただけで。
野球が好きだった訳じゃないんだよね。
親父とお袋が巨人ファンだったからさ。
あと、幼なじみがみんな野球を始めたタイミングだったんだよね。」

という、びっくりするほど他人軸的な理由で、かなめくんは少年野球→中高野球部→大学の野球サークルまでという長いスパンで野球をしていた。


10年以上のキャリアで1度も野球を楽しく思ったことはなく、そのくせセンスだけは抜群だったので、高校ではエース・四番・キャプテンという大谷くんもびっくりな活躍だったそうだ。



好きではないことを、責任感だけで続けたかなめくんは、自分の好きな事が何なのか、そもそも考えた事すらなく大人になった。


私は、好きな事を見つけるために学校に通うのだと思っていた。


好きな英語では常に90点以上、嫌いな数学では2回も0点を叩き出したことがある私は、好きなことはできて、嫌いなことはとことんできなかった。


私のようなタイプは、嫌いなことをやらなきゃいけない局面で、涙は止まらないやら、腹を下すやら、そのクセなんにもできないやらでどうしようもない。

本当に困るものの、あまりのどうしようもならないっぷりにいつも誰かが助けてくれたり、「コイツはマジでコレができないんだな」と、結果やらなくてよくなるパターンで生き延びてきた。




かなめくんはスペシャルティ器用貧乏なのだ。

得意・不得意の波が少なく、成績も全て中の上。嫌いな野球もそこそこ出来てしまう。

苦手なものがあるとするならば、“ピリついた空気”。

学級委員など誰もやりたがらない仕事を決める時の空気感が嫌で、率先して手を挙げていたそうだ。




タイムマシンがあったなら、「そんな事しなくて良いよ〜!」と、かなめ少年を励ましに行きたいくらいだけど、21世紀になってもドラえもんはいなかった。

ノストラダムスも外れたし、私たちはどうしようもなく、今を生きるしかない。


我慢すれば、将来良いことがあるなんて大嘘だった。

だからせめて今この瞬間からでも、かなめくんの人生に“好きなこと”が溢れますように、と、思っている。



つづく










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