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無名

スポニチの校閲部でアルバイトをしながらライターを目指していた6年前、ある登山家とボクサーを追いかけていた。登山家とは奇妙な縁で彼の仕事を手伝っており、同じ奈良県出身のボクサー・村田諒太は東京はもちろん、上海での試合までも追いかけた。

ボクシングだけでなく都内や関東近郊のイベントもすべて参加し、まるでストーカー。ある夜、六本木のトークショーで「今まで会った有名人で誰が印象に残っている?」と訊かれた村田は電通の年賀式で見た登山家の名を挙げた。

凍傷で手の指9本を失ってもエヴェレストに挑む人間がいるのが信じられない。しかも、162センチの小男。一体どんな人間なのかと興味を持っているようだった。

登山家にその事を伝えると、次のメルマガ対談は村田選手とやろう! 3日後、事務所から「次回の対談は村田諒太さんに決まりました」とYahooメールが届いたとき、仕事中に思わずガッツポーズし校閲部から怪訝な目をされた。

東銀座にある事務所に村田諒太が来たときは「あれ?いつも来てくださってる...」とストーカーの顔を覚えていた。

1時間半の対談が終わり、村田が帰ろうとすると、「お腹が痛いのでトイレに行ってきます。ちょっと待っててください」と登山家がゲストを置き去りにし、20分ほど帰ってこなかった。

その間、取り残された村田と自分は、思わぬ対談が実現。なぜ日本人の世界チャンピオンは多いのに、オリンピック金メダリストは少ないのか?など拳闘談義に花を咲かせた。

今から思えば登山家は、わざと腹痛のフリをし、村田と喋れるようにセッティングしてくれたのだろう。

長いトイレから出てきた登山家は「3人で写真、撮りましょうよ」と言ったあと、「この対談を実現させてくれた、まっちゃんが真ん中ね」と3ショットを撮ってくれた。

普通なら村田を歓待するはずなのに、無名の校閲アルバイトを気にかける。器用なのか不器用なのか、不思議な優しさが今は懐かしい。

遥かなる山を見上げ、フラットな眼で人間を見つめる。彼の眼差しは地平線。それが栗城史多という登山家だった。

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