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『雪炎―富士山最後の強力伝』

一富士二鷹三茄子と言われるように、日本でもっとも縁起が良いのは富士山である。山国ニッポンで生きる日本人に正月に読んで欲しい本がある。

富士山最後の強力(ごうりき)、並木宗二郎さんの半生を描いた『雪炎―富士山最後の強力伝』井ノ部 康之 著。1996年に、山と渓谷社から出版された。

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この本を読んだのは、令和元年の6月1日。富士山に登る前日だ。Amazonで注文し、昼の11時に早稲田の郵便局で受け取り、その日の夜には読み終えていた。

それほど、井ノ部さんの筆致が読みやすく、題材の整理も巧み。もちろん、並木さんという素材が放つ漆黒のダイヤモンドの輝きもある。作家と発光体が最高の掛け算をした好例であり、富士山に登る大きな推進力になった。

強力は憧れの存在だ。30kgを超える荷を担ぐ勇ましさ、誰の力も借りず、他人と群れることなく、単独で登る姿は、徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」を思わせる。

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並木さんは登山経験もなく、身長160センチちょっと、体重も50数キロしかない。それでも、冬の富士山に400回以上も登った。小さな体に、どれほどの宿命を抱え込んだのだろうか。

長女が全盲の病気を罹ったあと、奥様を自殺で亡くされている。この本で最も心を奪われるのが、それでも富士山に登り続けた並木さんの強靭さ。

どんな試練を受けようとも、シジフォスの岩のように、何度も何度も頂上へ荷を運ぶ。そこには希望もなく、ひたすら同じルーティンを続けるだけ。それでも、山に登り続けた先には何かが待っている。

この本が出版され、多くの人の心を捉えたことが、神様からの唯一の退職祝いなのかもしれない。

並木宗二郎さんは2020年11月19日逝去された。享年81歳。物書きとして一度お会いしたかったひとりだ。

本の中で並木さんは長男に強力を継がないか提案されていた。現在はどうか知らない。ただ、自身が何度も死の危険とにらめっこをしているのに、この打たれ強さ、鈍感力はどうか。 

クライマーとは、何かを失っても、まだ何かを失い続けることができる、いや、失うことに生きがいを見出せる人間なのだろう。



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