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晴登雨読『わが山山』

晴れの日は山に登り、雨の日は山を想う。山岳の書籍を読んだ日々を回想する「晴登雨読」。今回は、深田久弥さんのデビュー作であり、昭和9年(1934年)に出版された『わが山山』。

大正時代、深田さんが高校・大学生だった頃の登山を中心に紹介させている。《山々》ではなく《山山》としているところに、深田さんの山への深い愛情を感じる。処女作にして文章力の高さに感心させられるが、それにも増して若さゆえの勢いが心地いい。

ガイド本である『日本百名山』のような洗練された文章も良いが、エモーショナル100%で解放した本著のほうが何倍も価値がある。

初めての北アルプス・槍ヶ岳では高校生ゆえに夢精したエピソードや、女性器に見える山貌の話など、人間の根底にある欲と山を結んでいるので、人間・深田久弥に近づける。

深田さんは「家が火事になったら真っ先に持ち出すのは、山の地図」と言う。「天気のいい日に八ヶ岳に登って山を好きにならなかったら、その人は神に見放された人だ」とも。そして、「雪は魔術師であり、魔法の衣であり、地球上にこんな素晴らしい自然の工(たくみ)があることを知らない者は、我が身の不憫を悔やむことになる」と。

これらの名言に共感しない雪山クライマーはいないだろう。『わが山山』一冊があれば他の山岳書は要らないと言ってもいいほど。自分がスポニチの校閲にいたとき、来る日も来る日も芸術論を戦わせた同僚の自論が「すべてのアーティストの最高傑作はデビュー作」だった。

一方で謎も残る。学生時代、深田さんは、どうやって登山費用を工面していたのか?だ。これは最大の関心事でもある。

汽車代。バス代、タクシー代、宿泊費、道具代などバカにならないはず。親が金持ちだったのか? お金の話を抜いては事の真実は浮き彫りならない。それは後々の著書で明らかになるかも知れないが、やはりお金についての記述は外せない。この謎は深田さんの故郷にある記念館を訪れたとき館長に訊いてみたい。

いずれにせよ、深田久弥さんの本は、他に10冊持っているが、『わが山山』を超える本はない。春夏秋冬の山山へ向けた深田久弥さんの壮大なラブレターは、世界の山岳書の中でも、空前の部類に入る名著である。

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