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在家の法 第78号
★「幸福の法則(在家の法)」第78号
あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
皆さん、ご無沙汰です。このところ、メルマガをずっとお休みしていました。こんなことは過去数年間でなかったことです。どうしても書けなかったので休まざるを得なかったのですが、今日はふと思い立ち書くことにします。
私も今まで真理を人々へ届けようと10年以上も水面下で活動をしてきたわけですが、その間、特に大きな成果があったわけでもなく、ある意味では亀のような足取りであったと思います。それもどれだけの結果が残せたのかというと極めて残念な結果しか出ていないように思います。
今回のこのお休みの間に色々なことがありました。個人的な私生活なんですけど、色々と考えさせられることも多く、悩み苦しむ毎日でした。まだ詳しいことは書けませんが、なかなかメルマガどころではなかったのです。
でも、数ヶ月の苦しみの中で学んだことは、理屈ではないということでした。いくら、理屈を分かっていても実践してみるとまったく違うものです。人生とは体験です。自らの体験で得たものこそが本物の成果であり、頭で分かっているつもりの真理はどれほどの力にもなっていないように思われました。
真理っていったい何でしょうか。人々が幸せに生きていくための法則ですね。でも、頭で分かっていても実践ができない真理など大して意味を持ちません。むしろ、理屈よりも「どんなことがあっても良い。自分が選んだ結果はたとえ地獄行きであっても悔いなく受け止めよう。」という意志の方が役に立ちます。
真理をあまりにも過大評価し過ぎであったのではないかと思うのです。宗教家にも多いことだと思います。法則によると、布教が楽ですから、法則を重要視するのでしょうが、宗教など関心のない多くの人々を救っていくためには、もっと違った切り口が必要だと感じました。
人生における救いとは、永遠の生命を感じる事ではなく、何でも良いから自分で自分の人生を勇ましく切り開いていく、そんなきっかけを与えることではないのでしょうか。その結果が必ずしも天国行きではないことは当然のことですが、失敗でも良いのではないでしょうか。永遠の生命ならこそ、失敗の体験も天国での幸福な体験よりも、ある意味では貴重な体験ではないのでしょうか。
人生に無駄など無い。どんなことでも自分さえその気になれば、糧とすることができる体験なのです。自分の心でそれを受け入れて、吸収すること、そしてその結果を返していくことです。それが本当に人生を生きるということであり、生命にとっては新陳代謝のような当たり前のことなのです。
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