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親魏倭王、本を語る その09

【ウールリッチ=アイリッシュについて】
コーネル・ウールリッチはアメリカのミステリー作家で、追われる者の寂寥感や焦燥感を描かせると右に出るものはいないとされる。詩情あふれる文体で知られ、「サスペンスの詩人」と呼ばれる。日本ではウィリアム・アイリッシュの名で知られるが、コーネル・ウールリッチが本名で、ウィリアム・アイリッシュはペンネームである。この名義で書かれたのが有名な『幻の女』である。他にジョージ・ホプリーというペンネームも用いていて、この名義で『夜は千の目を持つ』を書いている。
僕がウールリッチの作品で最も好きなのが、本名で書かれた『黒いカーテン』である。物語は、一人の男が記憶を取り戻したシーンから始まる。記憶を取り戻したものの、男の記憶には3年間の欠落があった。何者かの襲撃を受けた男は、妻を避難させたうえで自分の過去を探り始める。いったい、空白の3年間に自分は何をしていたのか。
それまでの推理小説と違う、極めて動的な作品である。こうした動的要素を持つのがウールリッチの特徴で、他の代表作にも共通する。200ページ程度の短い作品だが、読み応えがある。島田荘司の『異邦の騎士』と読み比べるのも一興。
なお、ウールリッチは、日本ではウィリアム・アイリッシュ名義に統一されている。


【バロネス・オルツィと「隅の老人」】
アーサー・コナン・ドイルがシャーロック・ホームズシリーズを執筆していた19世紀末〜20世紀初頭は短編推理小説の黄金時代で、さまざまな名探偵が現れ百花繚乱を呈した。中にはホームズの模倣もあったようだが、思考機械、ソーンダイク博士、ブラウン神父、マックス・カラドスなどは独自の個性を出すことに成功した例である。
その中で特に異彩を放つのが、バロネス・オルツィが創造した隅の老人である。 彼は名前も含めて素性が一切不明という怪人物で、いつも喫茶店の隅の席に陣取り、チーズケーキを頬張りながら、新聞記者のバートン嬢に最近話題の事件の顛末を語って聞かせる。その様相から安楽椅子探偵の元祖とも言われるが、検死審問に顔を出すなど、自ら積極的に情報収集をしており、聞いた情報だけを頼りに推理する安楽椅子探偵の条件には当てはまらない。また、物語の構成としては、バートン嬢=読者は、老人から一方的に事件の顛末を聞かされるだけになる。動きがないので、ちょっと人を選ぶかもしれないが、一編が文庫本で20ページ台と短く、サクサク読める。「ミス・エリオット事件」「ダートムア・テラスの悲劇」「トレマーン事件」などがおもしろかった。
作者オルツィは冒険小説『紅はこべ』でも知られる。


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