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エルキュール・ポアロからミス・マープルへ

アガサ・クリスティーのライフワークといえばエルキュール・ポアロとミス・マープルの2大シリーズだが、実際は総作品数では大きく差がある。しかし、それでもミス・マープルがポアロに比肩されるほどの名キャラクターになったのは、主だった作品が1950年代以降に書かれていて、クリスティーの後半生の代表作がほぼミス・マープルものであるためだろうか。

個人的に、1950年代以降、ポアロものは徐々におもしろくなくなっている気がする。そこはクリスティー、どの作品を読んでも高水準なのだが、それでも1930年代に怒涛のように発表された一連の傑作(『オリエント急行の殺人』や『ナイルに死す』など)に比べると見劣りはしてしまう。何より、ポアロのキャラクターが時代にそぐわなくなっている。同時代を生きたディクスン・カーも同様の事態に直面したようで、彼はシリーズ探偵に見切りをつけ、過去を舞台にした時代ミステリーに移行する。
ミス・マープルの初登場作品は連作短編集『ミス・マープルと十三の謎』のプロローグにあたる「火曜クラブ」で、長編としては『牧師館の殺人』になる。この頃は(特に『ミス・マープルと十三の謎』では)安楽椅子探偵で、ミス・マープル=安楽椅子探偵のイメージを強くしているが、後の作品では意外と精力的に動き回っている。
この後、ミス・マープルはしばらく忘れられていたようで、第二次世界大戦後になってようやくシリーズとして始動する。『予告殺人』『パディントン発4時50分』『鏡は横にひび割れて』は特に傑作の誉れ高いが、1950年代以降の作品である。同時期のポアロもので同様の評価を得ているものはちょっと思いつかない。

ミス・マープルが、以前より大きく変容した第二次世界大戦後にむしろ生き生きと描かれているのか、言い換えると、なぜミス・マープルは第二次世界大戦後の世界に馴染むことができたのかというと、ミス・マープルが「ごく普通の、田舎の老婦人」だったからではないだろうか。
1930年代は名探偵の個性が強かった時代だが、エルキュール・ポアロをはじめ、エラリー・クイーンやギデオン・フェル博士らはみな個性の塊のような人物で、その個性ゆえに、一気に大衆化が進んだ第二次世界大戦後の世界にはそぐわなくなっていたようだ。カーが自分のシリーズ探偵に見切りをつけたのは先述したが、クイーンは作風を転換することで生き残りを図ったように見える。
一方、わりと没個性的だったフレンチ警部は、1950年代後半に作者クロフツが亡くなるまでそれなりに活躍している。レックス・スタウトの場合、デビューが1934年とやや遅いが、1950年代以降にも良作が多い。これは主人公ネロ・ウルフがダシール・ハメットらが描くリアリズム型探偵小説の主人公に近い人物造形なっているため、普遍的に活躍できたからだろうか。

名探偵の個性は執筆された時代と大きく結びついており、その時代から切り離されると「時代遅れ」と化してしまうようだ。

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