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劇場版『名探偵コナン』をやむなく貶す

最近は生活スタイルの変化やアニメオリジナルストーリーのマンネリ化などで放送を追わなくなったが、長らく『名探偵コナン』のファンである。特に劇場版は、静的になりがちな本格ミステリーに積極的にアクションを盛り込み、サスペンス要素を強めつつ本格ミステリーの要素もなおざりにしない構成にいつも感服している。
劇場版も途中から追えなくなってしまったが、上記の点からかねがね高い評価をしてきた。しかし、駄作とまで言い切るつもりはないが、劇場版『名探偵コナン』の中で、「紺碧の棺」と「天空の難破船」がいまいちおもしろく感じられない。

まず「紺碧の棺」だが、宝探しのおもしろさが際立っていて、インディ・ジョーンズが好きな僕の好みには合致しているが、脚本を担当した柏原寛司氏の「大味さ」が悪い方向に出てしまったところがある。例えば、ある「あからさますぎる」伏線などがそうである。柏原氏の大味さは『ルパン三世』ではあまり気にならないのだが、同じミステリーでもロジックによる謎解きを重視する本格ミステリーである『名探偵コナン』では、それが不備になってしまうのだ。
『天空の難破船』は飛行船という空を飛ぶ密室を舞台にしながら、それに怪盗キッドを絡めたことがストーリーの「ねじれ」に見え、また最後の黒幕の存在が蛇足のようにも感じられる。推理の要素が欠落してしまうが、あのままコナンとテロリストの戦いだけで終わらせたほうがスッキリしたかもしれない。ただ、何より気に入らなかったのがゲスト声優の存在で、演技があまりにも「棒」だったので、劇場で見ていて嫌気がさしてしまった。

劇場版13作目の『漆黒の追跡者』以降、『コナン』もゲスト声優を多用するようになるが、他のアニメと違って、『コナン』の場合はそれが鼻につくことがある。『コナン』がベテラン声優で固められているためもあるが、登場人物の一人が「犯人」である以上、その人物は常に嘘をついているわけで、そうした部分の機微はやはり演技力に左右されるところがあり、犯人でなくともストーリー上の重要人物に、芸能人ではあっても演技の素人である人(俳優や芸人でない人)は起用しないでほしいというのが率直な思いである(『漆黒の追跡者』のDAIGOは話し方が完全に「いつものDAIGO」で、一周廻っておもしろかったのだが)。
僕は『名探偵コナン』が好きというだけでなく、マニアを自称できるレベルのミステリー好きなので、ミステリーとして不備があると感じると、どうしても評価が厳しくなる。『紺碧の棺』がそうである。ただ、『天空の難破船』はシナリオ以外の部分でも気に入らない部分が出てしまい、自分でもモヤモヤしている。

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