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考古学小話集⑧

【遺物散布地とは何か】
周知の埋蔵文化財包蔵地、いわゆる遺跡はその範囲が過去の踏査に基づいて記録され、遺跡地図と呼ばれる地図が作成されている。 その中に(地域によるようだが)「遺物散布地」とだけ記されたものがあり、これは一帯で遺物が採取されているが、遺跡としての性格がわからないものを指す。
実のところ、遺物が表採できれば遺跡である可能性は高まるが、表採された遺物だけからその遺跡の性格を判断することは難しい。そのため、遺跡の性格を確定させるには発掘調査が必要になる部分も多い。有機質の建材が使われ、遺構が完全に地下に埋もれている、日本の遺跡(古墳や城館を除く)の特徴といえるだろう。

【山本忠尚先生と「美術考古学」】
元奈文研職員で天理大学教授だった山本忠尚先生は、学生~院生時代に美術史から考古学に転向されたこともあって、壁画や紋様など図像の考古学的研究をメインにされていたと記憶している。
これは先生の最終講義で聴いたのだが、先生が考古学に転向されたのは、美術史が一般的に作家論になっていて、考古資料を原始美術という枠で捉えようとした場合、作家論的な側面が強い従来の美術史の研究手法では研究に限界があると感じられたかららしい。
先生はずっと美術史と考古学の融合を模索されていたようで、その成果が「美術考古学」の提唱だと思う。

【有孔鍔付土器】
縄文土器の中に「有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)」というものがある(考古学用語を一発変換できないのが鬱陶しい)。
写真の通り、口縁部に穴が空けられているのだが、皮か何かで土器に蓋をした際、それを留めるためのものではないかと考えられている。中部高地に特有の土器らしい。
用途については主に太鼓説と酒造道具説があり、前者は長沢宏昌先生、後者は小林達雄先生が唱えられている(太鼓説のルーツは山内清男先生、酒造道具説のルーツは藤森栄一先生まで遡る)。
以前、大阪府立弥生文化博物館で開催された展覧会の解説パネルでは、実験の結果、太鼓としても酒造道具としても使えるものであったとされている(図録を参照したかったが、完売で入手できなかった)。

有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)の一例

【古墳の埋葬施設と方位】
古墳、特に大型の前方後円墳や前方後方墳は築造時に自然地形の制約を受けることが多く、主軸が西方意を取らない場合も多い。しかし、埋葬施設は正方位を意識して設けられることが多く、主軸と並行せずにきちんと東西南北(特に南北)方向に造られているようである。
横穴式石室は南に開口部を設けている場合が多く、埋葬施設の主軸を南北方向に取ることが何らかの理由で重視されていたとみられる。僕が知る範囲では岩屋山古墳や峯塚古墳、平林古墳などがそうである。竪穴式石槨や粘土槨の場合も南北軸が多いようで、ホケノ山古墳や黒塚古墳、小泉大塚古墳がそうである。 むろん、例外もある。


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