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民俗学小話集③

【赤飯と魔除け】
その昔、ある男が山道を歩いていると、「首吊らんか」という声がしたので、男は「帰りに吊るから待っててくれ」と言ってしまった。目的地についたのは昼で、そこで赤飯をご馳走になった。帰り、声がしたところに来ると、別の人が首を吊っていた。以後、赤飯は魔除けになると言われるようになった。
奈良県の伝説である。私も母から「赤飯は見逃すな」と言われて育った。赤飯は魔除けになるので、振る舞われたらかならず食べるべきなのだという。そのためか、コンビニで赤飯おにぎりを見つけるとよく買っていた。
疱瘡避けに赤いもの(ダルマなど)を飾る風習から、赤は魔除けの色と考えられる。

【ダルマに目を入れるのはなぜか】
その昔、過酷な年貢の取り立てに困り果てた一人の農夫が、張子のだるまに一心に祈っていた。ある朝、だるまの左目に朝日が差しているのを見て、左目に瞳を入れたところ、その日のうちに年貢を完納することができた。農夫は感謝の意を込めてだるまの右目に瞳を入れた。
以後、願掛けの際にだるまの左目を入れ、願いが成就すると右目を入れるようになった。
だるまは中国に禅を伝えた達磨大師に由来し、達磨大師が座禅を組む姿を表すとされる(達磨大師は嵩山少林寺で九年間座禅を組み、その間に手足がなくなったと噂された)。

【大坂の陣と徳川家康にまつわる伝説】
大和(奈良県)の伝説である。
大坂の陣で、徳川家康は真田幸村に追われ、大和まで逃れてきた。途中、桶屋の作りかけの桶に隠れて難を逃れたが、追いつめられて春日大社の本殿に逃げ込んだ。幸村は春日大社の社殿を一つずつ槍で突いて回ったが、本殿だけは遠慮したので、家康は助かった。
史実とはまったく異なる言い伝えである。
大阪府堺市の南宗寺には、徳川家康が真田幸村と後藤又兵衛の挟み撃ちに遭い、討ち死にしたという伝説があり、家康の墓とされる石塔もある。
悲劇の最期を遂げた豊臣家一門への判官贔屓が生んだ伝説と思われる。

【即身仏になれなかった行者】
「新野の雪まつり」で知られる長野県阿南町新野に、「新野の行者」または「阿南の行者」と呼ばれる即身仏が祀られている。俗名を久保田彦左衛門、道号を心宗行順といい、妻の死を景気に出家、諸国を行脚し、即身仏を志したことしかわかっていない。即身仏を目指した思想的背景は不明である。
この「阿南の行者」を祀っている瑞光院の麓に、「ぬすっと行人」あるいは「ニセ行人」と呼ばれる墓がある。この墓に葬られている行者は、阿南の行者に倣って即身仏を目指したが、あまりの空腹に耐えかね、墓を暴いて逃げ出し、近隣の農家から米を盗み食いしてしまった。それで即身仏になれず、村人に蔑まれながら野垂れ死にしたという。

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