即身仏について③
【【羽黒山と湯殿山の宗教闘争と即身仏】
即身仏について調べていて、生臭い話を知った。一部は以前の投稿と重複するが、即身仏誕生の背景と考えられる話である。江戸時代、羽黒山別当の天宥は南光坊天海に弟子入りすることで天台宗に改宗し、併せて出羽三山すべてを天台宗の支配下に置こうとした。空海による開山伝承を持つ真言宗の湯殿山はこれを拒否し、天宥は幕府に提訴した。この訴訟は数度にわたり争われたが、最終的に「羽黒修験者の湯殿山登拝は認めるが、行は真言宗のやり方に従え」という判決が出た。湯殿山は真言宗を堅持できたのである。一説では、この時、真言宗としての独自性を出すために、空海が行ったとされる入定をパフォーマンスとして「再現した」のが即身仏だとされる。湯殿山の信仰は山中の奇岩から湧く湯にあり、それが多くの参拝者を集める源泉であった。天宥はこれに対抗しようと羽黒山中で泉を探したが、見つかったのは冷泉で、湯殿山ほどの信仰を集めることはできなかったという。
【湯殿山行人と土中入定】
土中入定は即身仏になる修行の最終段階で、湯殿山系即身仏の多くは土中入定伝説を持つ。ただ、前近代において入定墓の存在が伝承されているのは本明海上人だけである(入定墓は現存しない)。また、湯殿山系即身仏のうち、初期の淳海上人(焼失)や全海上人は地上入場であり、鉄門海上人は没後に信者の手で即身仏にされたという。ただ、最後の即身仏となった仏海上人は生前に入定墓を用意していて、日本ミイラ研究グループの調査では環境が整っていれば遺体がミイラ化した可能性があると指摘されている(仏海上人は入滅後に入定墓へ埋葬されたが、湿気がこもらないよう気を付けて設計されていたらしく、棺に詰められたおが屑が湿気を吸わなければ遺体はミイラ化していたらしい。おが屑のせいで遺体は大部分が白骨化していた)
そのことから、即身仏になるための特殊な構造の墓が湯殿山行者の間で伝承されていたことがわかる。この入定墓は現在も元のまま保存されている。
【妙心法師の即身仏について】
岐阜県横蔵寺には富士信仰の行者であった妙心法師の即身仏が祀られている。妙心法師は横倉の出身で、富士山の鬼門にあたる御正体山で断食入定した。遺体はそのまま御正体山に祀られていたが、神仏分離で降ろされ、山梨県庁、次いで甲府の病院が保管していた。その後、事情を知った当時の横蔵寺住職が帰郷運動を行い横蔵寺の所蔵となる。
妙心法師の即身仏は一度学術調査を受けており、その後の再調査は横蔵寺が断っているという。この学術調査の詳細が長らくわからなかったが、最近、『美濃のミイラ信仰』という論文を読んで詳細がわかった。この調査の報告が公刊されていないのが混乱の原因だが、この調査を実施したのは名古屋大学の医学部で、当時、断片的な調査結果がプレスリリースされたものの、医学部の引っ越しなどイベントが重なり、正式な報告が行われないまま現在に至るらしい。これは非常にもったいない話で、今からでも(不完全でもいいので)調査結果の報告を望みたい。
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