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考古学小話集⑥

【慶運寺境内の石棺仏と古墳】
奈良県桜井市箸中に慶運寺という寺がある。普通の「村のお寺」なのだが、実は知る人ぞ知る名所で、境内に刳抜式家形石棺の身の部分を使った石棺仏があるのである。石棺に刻まれているのは弥勒仏であるとされる。
慶運寺境内には古墳があり、本堂裏に横穴式石室が開口しているが、僕が聞いた話ではこの古墳のものかどうかはわからないという。古墳は慶運寺裏古墳と名付けられているが、周囲が墓地として造成され、崖のどてっぱらに横穴式石室が開口している状態なので墳形は不明である。
本堂裏手の墓地に不自然な高まりがあり、遺跡地図では慶運寺裏「円墳」と名付けられ、先の慶運寺裏古墳とは別の古墳扱いされている。ただ、これも聞いた話だが、この高まりの上には無縁墓の石碑が集められて、一種の塚のようになっていたそうで、個人的には古墳ではなくただの土台ではないかと思っている。
ちなみに慶運寺北側の田畑は箸中遺跡という遺跡で、サヌカイトや縄文土器片が採取できる。

【茅原狐塚古墳と三輪氏(大神氏)】
茅原狐塚古墳は、奈良県桜井市茅原に所在する古墳で、よく見ているとJR桜井線の車窓から見える(巻向~三輪間)。一辺40m程度の方墳と推定されているが、封土は失われ、石室が露出している。複数の石棺が安置されていた。よく石室内に水が溜まっている。 保存状態が悪く、早急な対応が望まれる。
茅原狐塚古墳がある桜井市北部、有名な箸墓古墳が築造されている付近だが、この一帯は古墳時代中期になると古墳の築造が低迷し、主要な古墳は茅原大墓古墳ぐらいになる。ところが、古墳時代後期になると再び古墳の築造が活発化して来、茅原狐塚古墳をはじめとする横穴式石室墳がいくつか築造される。
大神神社が近くにあることから、これらの古墳は三輪氏(大神氏)の奥津城ではないかと考えられている。三輪氏は垂仁天皇の時代に始祖として大三輪大友主の名が見えるが、活躍が史書に記載されるようになるのは6世紀後半以降である。三輪君逆、三輪朝臣高市麻呂が知られる。

【磐余の池と大和の古池】
現在の奈良県桜井市と橿原市に跨るかたちで、「磐余の池」という池があったらしい。大津皇子の「ももつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみみてや雲がくりなむ」という歌でよく知られる(万葉集所収)。
現在、池の痕跡は残っていないが、桜井市に「池之内」、橿原市に「池尻」という字が残る。橿原市東池尻町に妙法寺という寺があり、吉備真備の創建と伝わる。本尊は十一面観音像で、通称を「御厨子観音」といい、本尊が厨子に納められているためとも言われるが、付近は磐余の池の伝承地であり、そのことから「水尻」が「御厨子」に転じたとも言われている。
ちなみに、奈良県にあった古池には次のようなものがある。
①益田池
平安時代に作られた溜池で、畝傍山の南、橿原ニュータウンのあたりにあった。堤の一部が現存する。
②埴安池
香久山北西麓にあったとされる池で、『万葉集』に名が見える。香久山と都多本神社の間に池の痕跡と思われる低地がある。


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