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ある猟師の話(『十津川郷の昔話』より)

奈良県十津川村の伝説である。
ある所にシシトリネという猟師が住んでいた。彼は仮の名人として知られていた。ある時、いつものように犬を連れて山に入ると、今までに見たことのない大猪を見つけた。シシトリネは鉄砲で撃ったが、手傷を負わせたものの急所を外し、逃げられてしまった。
血痕を手掛かりに後を追っていたが、途中で日が暮れてしまったため、野宿することにし、焚火をして腹ごしらえをすると、明日に備えて横になった。
しばらくすると耳元で声が聞こえるので、シシトリネは目を覚ました。寝たふりをしながら薄目を開けてみてみると、正装した小さい人々が火を囲んで話している。そのうち、一人が「今日のシシトリネの獲物はどうだった?」と尋ねた。すると、別の男が「この山に長く住む大猪でな、今日、とうとうシシトリネの餌食になってしもうた」と言った。先の一人が「で、どうだった?」と訊き返すと、訊かれたほうは「急所はそれてな、なんとか逃げ出しよったが、途中で鉛(当時の鉄砲玉は鉛製だった)の毒が回ったみたいで、向こうの谷に落ちて死によった」と返した。さらに先の一人が「で、大猪はシシトリネに祟ったりはしないのか」と尋ねると、もう一人は「いや、シシトリネは取った獲物の供養をちゃんとする男じゃ、祟ることはできん」と言った。
そのうちに話し声は聞こえなくなり、シシトリネは朝までぐっすり眠った。
翌朝、耳元で小人が話していた内容を頼りに山向こうの谷へ向かったところ、昨日の大猪が谷底に落ちて死んでいたという。

以上が伝説のあらましである。書くと流れが悪くなるので、あらましを語る中ではあえて書かなかったが、この伝説には興味深いものが含まれている。それは就寝時と起床時の唱え言葉である。『十津川郷の昔話』では唱え言葉の目的には触れていなかったので、その目的(どのような時になぜ唱えるか)はわからない。
寝る際は「天くくる、地くくる、四方四面しめくくる、ナムオンケンソワカ」、起きる際は「天ひらく、地ひらく、四方四面おしひらく、ナムオンケンソワカ」と唱えるらしい。
この伝説の主人公・シシトリネは野宿する際にこれを唱えているので、そうしたイレギュラーな状態の時のみ唱えるものかもしれない。
また、小人の会話から、猟師が定期的に捕った獲物の供養を心掛けていたことが窺われる点も興味深い。

2025.2.19追記
この記事はTwitter(X)に投稿した長文ツイート2本を再構成したものである。その際フォロワーさんから唱え言葉について「結界を張る目的ではないか」という指摘があった。文言からしてその可能性が高いと思われる。
そうすると、シシトリネがそばにいるにもかかわらず、小人たちがそれを気にする様子もなく歓談していたことにも納得がいく(結界によってシシトリネの気配が消えていたものと考えられる)。
「ナムオンケンソワカ」はおそらく南無阿弥陀仏の南無と大日如来の真言であるオン・アビラウンケンが結びついたものだろう。

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