等閑視される「冷戦」の謎
序
今読んでいる、中西輝政先生の『覇権からみた世界史の教訓』に気になることが書かれている。今、国際政治や国際社会の界隈では、学界であっても冷戦を等閑視しており、ともすれば無視しているような傾向があるという。同書の中で、中西先生はこれを「冷戦忘却史観」と名付けている。冷戦を語るのに、何か不都合があるのだろうか。
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その手掛かりとなるのが、戦前期に共産主義革命を成し遂げたロシア(ソ連)が世界的な共産主義革命を起こそうと画策していたという「コミンテルン陰謀説」で、最近の調査、特にソ連崩壊後のアメリカ・ロシア両国における情報公開によって、「コミンテルン陰謀説」が根拠のない陰謀論ではなく、事実であったことがわかってきている。先に読んだ、福井義高先生の『日本人が知らない最先端の「世界史」』に記述があるが、ヴェノナ文書の公開によって、第二次世界大戦当時のアメリカ(F・ルーズヴェルト政権)中枢部にソ連のエージェントが多数入り込んでいたことが明らかになっている。この時、「アメラジア事件」(太平洋問題調査会の準機関紙的な雑誌『アメラジア』がスパイ活動に関わっていたとされる疑惑で、情報漏洩事件だったものがなぜか言論弾圧事件にすり替わった)に絡んで知日派のグルー国務次官(前駐日大使)が失脚し、親中派のアチソン次官補が次官に昇格したことが、戦後日本の思想的混乱(歴史教育を含む)を後押ししたような気がするのだが、ソ連を中心とする共産主義勢力がいろいろ画策していたことは、ゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実の供述からも明らかである。もっとも、思想統制が著しかった戦中の話なので、尾崎の供述も「言わされている」と疑ってかかる必要があるかもしれないが、尾崎の供述が正しいという前提でないと、近衛文麿指導下における日中戦争の泥沼化が説明できない気がする。
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