見出し画像

宮田登先生と都市民俗学

宮田登先生の著作を読んでいて思うのだが、先生の最も大きな業績は、それまで農山漁村をフィールドとすることが多かった民俗学に「都市民俗学」という新たな分野を開いたことだと思う。

これまで、都市の生活文化はサブカルチャーも含めて歴史学の中の「文化史」が担ってきた部分が大きかったが、文化史の中の思想史的な部分を除くと物質文化に焦点があてられることが多く、また生活様式の変遷も社会の変化のうち制度や技術などの変化の視点で語られることが多かったようで、その背景にある心意的な変化はあまり気にされなかったように思う。

そのため、都市の生活文化でも従来の民俗学が対象としてきたような「しきたり」や「俗信」といったものは文化史の視野からは欠落していて、宗教学も年の民間信仰まではカバーしきれていなかった印象を受ける。そのため、都市研究においても民俗学的な研究は必要であって、その分野をようやく開拓されたのが宮田先生だったのではないかと思う。

民俗学は草創期から農山漁村の研究に注力してきた部分があるが、この辺りは文化人類学も同じようで、小川さやか先生が『「その日暮らし」の人類学』の中でフィールド選定時に都市を選んだ際の反応を書かれているが、民俗学や文化人類学が「伝統文化の研究」を主題とする点が強調されてきた結果、「その国・地域の伝統文化を色濃く残しているのは田舎である」という思い込みができていたのではないかとも思わせられる。

考えてみれば都市にも長い歴史があるわけで(例えば京都)、その中では田舎とはまた違う民俗文化が生まれていることは想像に難くない。都市は元々流動的な構造があり、文化の変容や衰退、あるいは新規構築が田舎と比較して著しく速いという特徴があると思う。したがって、「担い手がおらず衰退していく」という田舎の生活文化と違うかたちの「文化の消失」が起きる可能性があり、そうした生活文化の収集が急がれる点は田舎も都市も変わらないと思うのである。
その点、江戸時代に編纂された『嬉遊笑覧』や『守貞謾稿(近世風俗誌)』などの風俗誌、柳田国男がまとめた『明治大正史〔世相編〕』などは貴重な資料といえる。

宮田先生の都市民俗学関連の著作では『江戸のはやり神』『都市民俗論の課題』『都市とフォークロア』『都市空間の怪異』が代表的かつ重要と思われる。

いいなと思ったら応援しよう!