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考古学小話集⑤
【古墳群と水系・交通路】
古墳(群)の動態を水系で捉えた研究で、僕が知る最も古いものは伊達宗泰先生の「古墳群設定への一試案」(1975年)である。これは、奈良盆地の主要な古墳群と水系を結びつけ、地域ごとに古墳群の造営母体を推定するものだった。
ただ、水系で全ての古墳群を捉えきれるわけでもなく、その点は後に関川尚功先生が「大和における大型古墳の変遷」(1985年)の中で、古墳群と陸上交通路(街道)の関係として説いておられる。奈良盆地を例に取ると、河川交通を意識した立地の代表例が島の山古墳、陸上交通を意識した立地の代表例が桜井茶臼山古墳であると言えるだろうか。
畿内五大代古墳群と呼ばれる大型古墳群は、そうした交通路を意識して造られている可能性が高い。
【ハミ塚古墳】
奈良県天理市にハミ塚古墳という一辺50メートル近い大型の方墳がある。国道169号から天理東ICへ抜ける側道沿いにある。
明日香村の石舞台古墳と似た時期、6世紀末〜7世紀初頭の築造で、石室は花崗岩の切石積み、凝灰岩製の石棺があった。なお、発掘調査をしないまま破壊された部分があり、墳丘や石室の残存状態はあまりよくない。
特筆すべきは、石棺が長辺に3対6個の縄掛突起を持つことである。類似例は御所市條ウル神古墳石棺しか寡聞にして知らない。條ウル神古墳と違い、石室ともどもかなり破壊されていたのが惜しまれる。
【牧野古墳】
藤ノ木古墳とほぼ同時期(6世紀末頃)の大型円墳に、奈良県広陵町の牧野(ばくや)古墳がある。直径50m前後の円墳で、横穴式石室内に2基の石棺(刳抜式と組合式)があったが、盗掘で破壊され、組合式のほうは形状を保っていない。盗掘に遭いながらも副葬品は豊富で、築造時期や副葬品の構成から、藤ノ木古墳とよく比較される。
被葬者は明らかでないが、敏達天皇の子の押坂彦人大兄皇子(舒明天皇の父)に比定する説が有力視される。現在、被葬者が推定できる数少ない古墳である。
石室は通常非公開で、見学には申し込みが必要だが、柵越しに中を覗くことができる。
【纒向古墳群】
箸墓古墳を中心とする一帯を纒向古墳群と呼び、大和古墳群の一支群として扱うことが多いが、纒向古墳群自体はさらにいくつかの支群に分かれている。纒向石塚古墳をはじめとする纒向小学校周辺の一群、ホケノ山古墳など大字巻野内から箸中にかけての一群である。大字茅原にも茅原大墓古墳などの一群があるが、これらは巻向川をまたいだ南側にあり、築造時期も5世紀以降なので、独立した古墳群と捉えるべきだろう。
(ただし、現在の箸中地区は巻向川両岸に位置している。古墳群を考える場合、現在の行政区画に従っていると誤りを犯しかねない一例ではないかと思う。)