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怪力の話

昔話にはパターンやモチーフ、テーマがあって、おおよそそれらに沿って分類ができるという。その中に怪力についてのカテゴリがあるのだが、今回は柳田国男先生の『日本の昔話』から2話ほど抜粋して紹介しよう。

【赤ん坊と怪力】
これは怪力を授かった由来話でもあり、またウブメ(姑獲鳥・産女)伝承の一類型でもある。
昔、横手に梅津忠兵衛という武士がいた。ある日、夜の警護のために登城しようとしたとき、一人の女に出会った。女は「これから骨折り仕事に行かなければなりません。申し訳ないのですが、あなたの力をお貸しください」と言って、忠兵衛に赤ん坊を預けた。赤ん坊を抱いて登城することもできず、かといって置き去りにもできず、仕方なく忠兵衛は赤ん坊を抱いて立っていた。そのうち、赤ん坊が重くなってきて、石でも抱えているのかと思うほど重くなった。耐えられなくなりそうだった忠兵衛が思わず念仏を唱えると、赤ん坊は消えてしまった。間もなく、さっきの女がたすき掛けで戻ってきて、「自分はここの氏神だが、今夜、氏子の家でお産があるので出かけようとしたが、一人では手に負えないのであなたの助力を請おうとした。お産は重かったが、あなたが唱えた念仏のおかげで母子ともども助かった」とお礼を言った。忠兵衛が抱いていた赤ん坊は産まれる前の魂で、赤ん坊が重くなったのはお産が一番きつかった時だった。
女は「お礼に子孫の代まで大力を授けよう」と言って姿を消した。
翌朝、顔を洗った忠兵衛が手拭いを引っ張ると、それはふたつに裂けてしまった。そこで自分が大力を得たと悟ったという。
帰り、忠兵衛がお産のことを尋ねると、その夜、確かに氏子の一軒でお産があり、ひどい難産だったということであった。

力の象徴と言えば、多くの人が思い浮かべるのは金剛力士(仁王)であろう。
写真は興福寺西金堂に安置されていた金剛力士像。ちょっと島木譲二っぽい?

【女の怪力】
怪力の女性の話もよく伝わっている。
近江の国(滋賀県)の石橋というところに、大い子という女性がいた。ある時、越前の国(福井県)の佐伯氏長という男が、宮中の相撲節会(すまいのせちえ)に参加する力士に選ばれ、都へ上ろうとしていた。途中、石橋の里を通りがかると、若い綺麗な女が水桶を頭上に載せて運んでいるのを見かけた。氏長は悪戯してやろうと思い、女の片方の腋の下に腕を入れたが、女は片腕を下げて氏長の腕を挟み込んでしまい、そのまま氏長を家まで連れてきてしまった。氏長が素性を話すと、女(大い子)は「あなたは相撲節会の力士に選ばれて都に上ると言われるが、日ノ本には強者は多くいる。たかだか女の私に引きずられてしまうようでは先が思いやられるので、しばらく滞在していきなさい」と言った。期日までにはまだ間があったので、氏長はしばらく大い子の家に滞在することにした。
大い子は毎日、握り飯を作ってくれたが、最初は硬くて噛み切ることもできなかった。しかし、しばらく経つと噛めるようになり、三七二十一日目には普通に食べられるようになった。大い子は「私が握った飯を普通に食べられるようになったなら、もう充分です」と言って、氏長を都へ出立させた。
残念ながら、氏長が活躍したかどうかは伝わっていない。

今回は2話だけ紹介したが、他にもおもしろい話がある。
機会があれば、そうした興味深い昔話や伝説を、いろいろと紹介していきたい。


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