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日本の庭園はまったく独自の進化を遂げてきた。限られた空間に自然を再現するのが東アジアの庭園の特徴だが、日本ではそれを石組みで表す枯山水が独自に発達した。庭は単に愛でるだけでなく、見て考えるものでもあり、大名屋敷などではもてなすための庭が、寺院では瞑想するための庭が発達した。一方で、神社については、長らく庭園の存在が知られてこなかった。 神社に庭園がまったくないわけではないが、多くは社務所等に伴う庭園で、滋賀県多賀大社の例が知られる。それ以外では鏡池が挙げられる。鏡池とは神域内
先行研究をきちんと押さえたうえで発言するわけではないので、以下の文は話半分に読んでいただきたい。
「滑稽」という言葉がある。ネガティブな意味も含めて「おもしろい」さまを表す言葉だが、当初、中国においては「弁舌さわやか」なさまを表した。初出は『楚辞』と思われ、司馬遷の『史記』や揚雄の『法言』などに見られる。司馬遷は『史記』に「滑稽列伝」を設け、弁舌でもって身を立てた偉人を顕彰しているが、彼らの多くは諧謔で人を諫めることを得意としており、比較的古い段階からユーモアやウィットを含有していたようである(ただし、元来の「滑稽」にユーモアやウィットの意味は含まれていない)。 『史記』
漢の高祖・劉邦の皇后だった呂雉(呂后)は武則天(則天武后)、西太后とともに中国三大悪女に数えられているが、個人的に見て、彼女は単に嫉妬深かっただけではないかという気がする。劉邦の側室、戚夫人の一件や、息子・恵帝の異母弟にあたる劉如意の暗殺などは褒められたものではないけれども、韓信や彭越といった功臣を粛清したのは劉邦の猜疑心が発端で、呂雉の悪行に数えるのは違うと思う(実際に手を下したのは呂雉だったとはいえ)。