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第1回: インドは “グローバル” の道場だ (Jul.2018)
日本人・日本企業がもはや避けて通れない “グローバル” という言葉は、依然、ある種の憧れを伴って語られることが多いように感じる。“グローバル” とは何か、を考えるところから本コラムを始めたい。
グローバルを “海外” と訳す場合、言葉の定義からすればインドも当然にその範疇に入るはずだ。しかし一般に “海外赴任” には憧れても、“インド赴任” を羨ましがられた、という話は聞いたことがない。
外資系企業の社員は “グローバル” な人材だろうか?何となく英語が堪能で、世界中どこでも活躍できそうな印象がある。だが私が知る限り、欧米や香港・シンガポールなら喜んで、でもインドはちょっと。。。という者が大半だ。
日本から見ればインド企業は “外資系” 企業だが、当地インドで日々付き合うインド企業は日本の “外資系” のイメージとは重ならない。インドの日系企業はインドにおいては “外資系グローバル企業” だが、日本人駐在員にそのような自覚はないだろう。
どうやら “グローバル” という言葉は何等か好ましいイメージで語られ、暗に、その対象に含まれる国・地域とそうでないところとがありそうだ。日本人・日本企業が “グローバル” を語る際、インドはどこまでその想定に含まれるだろうか。
“グローバルを目指すなら、まずはインドへ向かえ”、“インドはミニ・グローバルだ”、と紹介している。ここまで何もかも自由で多彩、かつ民主主義に基づく巨大・広大な国家が他にないのは周知の通りだ。同時に“英語・数字・ロジックでビジネスができるひとつの市場”としては十分すぎる規模がある。“限定なしのグローバル”で生活し、時に戦うためのスキルを身に着けるのに、インドほど適した地はない。
他方で未だ、インドを単に “ひとつの国” と捉え、各国の統計値・経済指標と比較した情報を目にすることが多い。無論、そのデータそのものは誤りではないが、例えば、一人当たりGDPが日本の1/20、中国の1/4、タイの1/3と聞いて、ではおよそインド人の購買力がそれに比例する、とは、考えられない。人口は日本の10倍、国土は9倍といっても、その全てに真剣にアプローチしようとする企業はほんのひと握りだ。地域・民族・宗教・言語・慣習等、何をもって “インド” を語っているか、極めて限定的な側面について語られ、理解されているのが通常であろう。
“グローバル” に憧れる日本人・日本企業だが、“ミニ・グローバル” であるインドについては、どのような印象を持っているだろうか?極めて限定的な側面のみが言語化・文章化されて伝えられているにも関わらず、それらが特定の印象にばかり偏っている気がしてならない。
インドが日本的な “グローバル” の概念の中でどう位置付けられるかも含め、"インドにいる日本人" はみな、“日本の日本人” の視点をどこかで気にしながら生活を送っているように感じる。他方で、確実な成長基調の下、ダイナミックに予測不能な変化を続ける今のインドに身を置いていることは、向こう数十年、世界中を見渡しても稀有な経験ではないか、と私自身は考えている。
“限定なしのグローバル” であるインドで生活を送る身の日常に起こること、見聞きすることから、"日本の日本人" の多くが持たないであろう視点 = JUGAADの視点を提供できれば、と考えている。
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