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さらばオリンピック
東京2020にはがっかりだ。開催国の世論は無視されて開催された。いや無観客になったのだから全く無視というわけではないのだろう。しかし首相の意向で2021年に一年遅らせたのだから、首相の意向でもう一年遅らせればよかったのだ。今夏の2022年なら有観客でみんな心から楽しめたと思うととても残念だ。元々2年遅らせる意見もあったからなおさらである。
まあ自国開催のオリンピックで総理大臣にいたい人情はわからなくはない。しかしぼったくり男爵などIOCの恥部が見えてしまったのが、さらにつらかった。金権主義なのは米国のゴールデンタイムに日程が左右されることから分かっていた。しかしそのために日本人は犠牲を払っても開催する義務があるみたいな態度は我慢できない。白豪主義の権化みたいな物言いである。
大体オリンピックの価値がなぜ高いのだろうか。4年に一度だけだからそこにピークを合わせるのが難しいと説明する人がいるが全くおかしい。選手によってピークは違うし、有力選手の有無によってメダルの色が変わる偶然性が生まれる。ラッキーとかアンラッキーとかの運にどうしても作用される。競技ごとに開催される世界大会での成績も同様に評価されてもいいはずだ。
SDGsの観点からも全競技がみんな集まるのはオリンピックは不合理だ。
オリンピックは無くなってもいいと結論に達したため、今まで出来る限りの時間を割いてテレビ観戦していたのを止めた。世間の関心が無くなれば価値も無くなるからだが、最後のお別れに東京五輪は見てしまった。冬季北京は初めて見ずにどうなるか実験してみたら、時間は有効に使うべしの結論だ。