新卒プロパーから社長就任、それからのこと 最終回
2016年11月に丸の内から現在の伏見にオフィスを移転した。
前回の移転は後ろ向きの移転だったが、この時は前向き。
オフィスが手狭になったこととよりアクセスのいい環境を求めての移転。
広さは倍近くになった。
家賃は倍以上になった(汗)。
この前後は会社としても好調。
2年後にはオフィススペースが手狭になり、レイアウトを変更しデスクも増やした。
40名収容できるセミナールームも作ったので、ここでセミナーを開催したり、社内の勉強会、時にはブルーシートを敷いて飲み会も行った。
丸の内時代には円頓寺に通っていたが、伏見に移ってからはこの界隈を荒らしまくった。
(悪さをしたのではありません・・・)
どちらも大好きな街。
それだけで働く喜びが生まれた。
2019年11月に会社は設立50周年を迎えた。
会社の寿命が30年といわれる中、この地区で50年事業を継続させることができた。
親会社の倒産を経験する稀有な存在である名大社。
オーナー家でもない僕が50年の節目に立てたのは感謝すべきだが、不思議な感覚もあった。
多分、これは僕しか分からない感覚。
OBの嬉しそうな顔や参加者同士の楽しそうな会話をみながら、
責任を果たした気持ちにもなった。
自分でなければ会社はもっと成長したかもしれない。
逆に会社の存在すらなかったかもしれない。
それは誰にも分からない。
2018年度までは毎年順調に業績を伸ばしてきたが、翌年は前年割れとなった。
一つは僕が掲げた新たな営業体制が機能しなかったのが原因。
ソリューション強化は僕の独りよがりの考えだった。
そして、2020年年明けから国内に広がった新型コロナウイルス感染拡大。
この影響で大幅に業績を落とした。
非常事態宣言が発令された3月はイベント中止。
大掛かりな企画を組んでいた5月も全て中止。
売上がほぼなくなった。
6月以降、イベントは再開できたものの規模は縮小。
赤字が続いた。
採用市場も冷え込んだ。
名大社は基本的に営業会社。
人が動いて売上を形成する。
雇用調整助成金の活用も限定的。
仕事がないから休ませる、というわけにはいかなかった。
業界全体の落ち込みに比べ、イベント比率の高い名大社は半端ない落ち込み。
これまでの方針が裏目に出た。
全ては社長の責任。
当然のことだった。
新しい手は大きな力にはならず、守ることが中心だった。
2020年10月末、ホテルに一人で籠り考える時間を作った。
メンバーに対し申し訳ない決断をした。
自分自身の進退も決めた。
「中継ぎ」があまり長いのもよくない。
中継ぎ投手は打たれたら交代するのはプロの世界。
それは経営の世界でも同じ。
そんな判断をした。
それから徐々に権限を委譲し今に至る。
名大社では明日、株主総会。
その後の取締役会で正式に社長退任と新社長就任が決まり、6月1日からは新体制。
僕の12年5か月の在任期間も明日で終了。
従って、この半生ブログは今日が最終回。
反省は山ほどしているが悔いはない。
寂しい気持ちはあるが判断は間違っていない。
社長として幸せな時間を過ごさせてもらった。
一度きりの人生なら1回くらい社長を経験したほうがいい。
今、改めてそう思うし、若手やこれからの人に大きな声でいいたい。
社員、クライアント、経営者仲間、ブレーン、全ての方に感謝。
もちろんブログを読んでくださったみなさんも。
ありがとうございました。
そして、これからの名大社にも期待して欲しい。
終わり。