失恋する私の為の人生見直し映画コラム ⑧ 「お引越し」
まず前回の書ききれなかったことから
このコラムの⑦「(ハル)」で映画とともに森田芳光監督のこともあらためて自分で「見直し」て、やっと少し理解できた気になり、嬉しくなったところで、今度は相米慎二監督のことも気になってきたので、書いて見たくなった。
二人は、1980年代に青春時代を送った映画少年少女には憧れの存在で、尊敬する対象だった。そして二人とも確とした自分のスタイルがあり、個性の塊で唯一無二の存在感を放っていた。私達は「モリタ」「ソーマイ」とまるで「スピルバーグ」「ルーカス」というように口にするのが常だった。
森田監督の「(ハル)」では、パソコン通信という当時ではまだ最先端の事柄を軸に描いていたことで、監督の先見の明の素晴らしさがまずわかった。そして、この映画にはそういった時代の先を読んで描く才能がずば抜けていたことを証明するエピソードが他にもたくさん散りばめられている。それは撮られてから30年近くたった今だからこそよくわかるのだ。
前回書いた「こじらせ女子」もそうだが、「ストーカー」という言葉が一般的になるのは2000年に「ストーカー規制法」が制定された前後からなのに、1995年制作のこの映画では名前はついてないけど主人公に付きまとう、そういう存在の男を登場させている。そしてなぜか元ブームの宮沢和史氏が絶妙にヤナ感じの「スピリチュアル系」の男を演じているが、そういう感じが流行ってくるのも2000年代中頃位になってからだと思われる(江原さんが出てきたころからか)。
そんな森田監督の映画だが私が一番好きなのは実は、「メイン・テーマ」である。1984年公開のこの映画の好きなところは、ロケが多く、短い時間内に撮られたと思われるライブ感覚があるところとか(桃井かおり様が風に髪をあおられながらもしっかり芝居をしている、役者魂を感じられるシーン好き)、大好きな財津和夫さんが重要な役どころで出ているところも、主題歌も好き。
DVDの特典映像のメイキングのシーンで、まだ34歳の若い監督が本当に楽しそうに撮影しているところが見られるのもいい。
主人公(薬師丸ひろ子)の相手役(野村広伸)がマジシャンで、彼女を喜ばすために箱から鳩を出すシーンもメイキング映像になっていた。
鳩を一斉に箱から出すのをスタッフが苦労していた。
でもこのシーンは森田芳光監督を象徴しているシーンだとも思った。
見る人を喜ばせるために、次々マジックを繰り出すように映画を撮っていったサービス精神の塊のような人だったんだと思う。(過去形が悲しい。)
2021年は色々あった年
2021年12月に没後10年の節目のイベント「森田芳光70祭」があったのがきっかけでコラム⑦を書いたのだが、この年の9月は相米慎二監督の没後20年の節目の時でもあったのだった。今回このコラムで相米慎二監督の作品のことも書こうと思い立って、2022年の今年になってから調べ始めて初めて分かったことだった。20年前私は三十代半ば。仕事で忙しい日々を送り、将来の見えない不安との戦いもあり、自分自身のことで精一杯な時期だった。亡くなられたというニュースも正直覚えてなかった。享年53歳。早すぎだ、と思う。
相米といえば音楽
私が相米監督の作品で一番好きなのは、実は「東京上空いらっしゃいませ」である。1990年公開のこの映画を見た当時のことで覚えているのは、涙が出すぎてしょうがなかったこと。そのとき持っていた小さいハンカチがぐしょぐしょになっていたことと、その手触りまでよく覚えている。まだ感受性豊かな23才の時だったからというのもあるが、挿入歌の「帰れない二人」に感動してしまったのである。抜群にセンスのある導入の仕方。井上陽水氏本人はもちろん、加藤登紀子さん、当時流行っていた憂歌団の木村秀勝氏、ジャズボーカリスト小笠原みゆきさん、それぞれの持ち味にアレンジされ、劇中に使われている。
この「帰れない二人」は陽水氏の大ヒットアルバム「氷の世界」に収録されているものだが、私がこの歌を好きなのは、陽水氏と忌野清志郎氏との合作の曲だからである。まだ不遇な時代の若き日のキヨシローの悲しげなバラード群の特徴がよく出ている曲。私は中学、高校時代彼のファンだったから、この歌が使われていてすごくうれしかった。監督センスある、と思った。この曲は監督自身のチョイスなのか?あまり音楽については語られてないようで、そこは謎である。もちろん、最終的には監督がOKを出しているものだとは思うが。
ただ、音楽について印象的な使われ方をしているのはこの映画だけではない。
1985年公開の「ラブホテル」に使われている、もんた&ブラザースの「赤いアンブレラ」も好き。この映画を初めて見たのは公開当時ではなく、今から10年くらい前であるが、この時から私の「カラオケでの必ず入れたくなる曲」になった。しかし、歌詞はほとんどないので一人カラオケの時に限られる。
そして、1980年公開の「翔んだカップル」挿入歌、H2Oの「ローレライ」。
この映画は公開当時、中学1年生だった私が学校で割引券を貰い(見てもいい映画があると貰えた)、初めて映画館に見に行った記念すべき作品。この時一回しか見てないのになぜか耳に残っている、すごくいいシーンに流れていたあの曲なんだっけ?と、今年になって急に思い出して聞きたくなり、ネットで探して、ああH2Oだったんだと初めて分かった次第。CDもレンタルして聴いています(ダウンロードではないけどね)。この曲もすごくいいですね。今さらながら。
私が好きな、この三つの曲に共通しているのは「しっとりとした、物悲しさ」であろうか。曲とシーンがばっちりシンクロしているのも凄い。相米監督は私にとって「音楽のセンスのある大人」でもあった。
長回しのことは忘れていた
しかし、相米監督の特徴として語られるのは「長回し」についてのことが多い。
今回、「東京上空いらっしゃいませ」と「お引越し」を見直してみて、改めてそうか「長回し」ね、と思った。確かに多い。ただ映像的にこだわりがあってやっているというよりも、役者さんの演技が自分の思うものや、予定調和的なものから遥かに逸脱して、予想異常の高まりを見せる瞬間を待っている、演出上のこだわりからの「長回し」であろうと分かってきた。
「お引越し」のレンタルDVDの特典映像に、メイキング映像がついており、撮影中の監督の姿が見られるが、役者さんの芝居について、「ここはこういうシーン、こういう時はどう思う?」というような、答えのないところから一緒に引き出していこうという姿勢が垣間見れる。実は回し始めてから「もう一回」「もう一回」とやらせるのではなく、その前のリハーサルに時間をかけているようだ。
どちらかというと、舞台の稽古のような雰囲気を感じた。優れた演出家でもあったという新しい発見があった。(過去形が悲しい。)
さて「お引越し」ですが
1993年公開の映画。東北出身の監督がとにかく西に行きたくなって撮った映画らしい。パンフレットにもそう書いてある。公開当時私が買ったパンフレットを今も持っているが、表紙がボロボロに汚れている。「東京上空いらっしゃいませ」のやつは新品同様なのに、なぜ?30年前だから思い出せないことはたくさんあるのに、なぜかこの映画を見た前後のことは結構鮮明に記憶に残っている。監督は西へと向かっていたのに、私は入れ違いに東へと向かっていたからだ。
大学を卒業してからも京都に残り、フリーター生活をしていた私も26才。仲間もいて、それなりに楽しい生活をしていたということは、このコラムの③にも書いたのだが、やはり、家族や親戚はあきれて心配していたようだ。その頃、東京にいた姉が遊びがてら一度東京に来いと電話をくれた。当時の姉の仕事先の人に映像関係の仕事についている人がいて、映画好きでフラフラしている妹の事を話したら、一度食事でもしよう、と言う話になったと言うのだ。結果的には使用期間を設けて、その人の知り合いの会社で働いてみる事になったので、私は京都のアパートを借りたまま、八月半ばから姉の住まいに居候して仕事に行くことになったのであった。
そのほぼ同じ頃から、京都では「お引越し」のロケが始まっていた。私が東京に行くことを決めなければ、そのロケを多少なりとも見ることはできたかもしれないのは今でもちょっと残念だ。私はその頃、同じく映画好きな、年下の地元の大学生の男の子と仲良くなっていて、付き合っているかと言われれば微妙だったが、結構いい感じに楽しくやっていた。例によって少し前に、プチ失恋した後に出会ったので、またしても「捨てる神あれば・・・」ということわざを実感する毎日だった。
本当にこの頃は、この先何が起こるかなんて、全く予想してなかった。私が東京に行くことになって、二人で送別会みたいに夜の鴨川ベリで別れを惜しんだのが懐かしい。それからの私は失恋ばっかりだったから、その一瞬がどんなに私の一生の支えになるかなんてその時は思いもしなかった。試用期間3ヶ月は何とかクリアして、京都の宿を引き払い東京へ引っ越したのはいいが、仕事自体はキツくて6ヶ月しか続かず、それからのどん底生活が待っていることも・・・。
これまた、例によって、私が彼との関係を確たる物にしようと欲張ったため、二人の関係は最終的には壊れてしまったが、映画「お引越し」には、リアルに当時の京都の空気と時間が保存されており、見るといつでもその頃に戻れる感じがする。彼は私のアパートの近くの公園までよくバイクで来てくれて、体をくつけるようにしてたわいもない話をした。迷路のような夜の先斗町を歩き回り、安い若者向けのバーのカウンターで薄いお酒を飲んで、何の話をしてたんだろう?彼の話す京言葉を聞くと、あ〜も〜何で?というくらい身体の力が抜けてしまって、そんな時間が大好きだった。タバコの匂いは嫌いだけど、彼の吸っているタバコだけはいい匂いがしたな。私達は体の関係は無かった。だからよかったのかもしれない。「仲良し」ー恋愛はそのぐらいでちょうどいいのかもしれない。だってこの時が私は一番恋愛を楽しんでいたような気がするから。
成人したといっても、まだ子供の心を残したままの若者特有の未熟な恋。でも、じゃれ合う子犬同士のようなほのぼのとした関係を共有できた、彼には感謝している。色んな意味でぬるま湯のように心地よかった京都時代。ここから先の私の人生は迷走したが、この時の東京行きは、ちゃんと世間の荒波にもまれ大人になりなさいという、天からの啓示だったのかもしれない。
脱皮する少女ーレンコ
映画「お引越し」は、小学6年の漆場レンコ(田畑智子)の、両親の離婚に対する心の葛藤と成長の物語。シンプルだからこそ、描くのが難しいお話である。大体子供の成長なんて、細かいエピソードなしで一体どうやって描くのだ。そう、それができるのが「ソーマイ」なのだ。クライマックスのところなど、小学生を夜、山の中に放置し、大丈夫なのか?と心配になる位だが、このシーンはレンコの夢の中のシーンとも考えられ、現実的ではない幻想的なシーンになっている。つまるところ結局は人間は一人、分入っても、分入っても青い山(by山頭火)。成長する過程で、必ず越さなければならない峠があることを教えてくれるシーン。ただ、それを小6で経験しなければいけないのは辛い。私などは今回見直してやっとそこまで理解できたのだから。
新しいレンコに脱皮したレンコは自分で以前の自分を抱きしめる。抱きしめてあげられるぐらい、一回り成長している。ほぼセリフなしの「長回し」でそれを描き切る、ブラボーソウマイ!!(すみません。便利に使ってしまいました)
課題ーこれからの恋愛は
そもそも、小6のレンコがそこまで一足飛びに大人にならざるを得なかったのは、イマイチ大人になり切れてない両親がいたからであって、そこは見逃すわけにはいかない。チチ(中井貴一)、ハハ(桜田淳子)は顔を合わせれば喧嘩ばかりの、どうにも煮詰まったドロドロの男女関係に行き着いてしまっていて、それは何とかしようとすればするほど、状況は悪化していくのであった。レンコをして「もう、どうにもならへんの?」と言わしめるほど、もう全くどうにもならないカンケイ。恋愛の行き着く先の駅にはこういう駅もある。難しいものだ。
この、どうしようもないチチを演じている中井貴一氏がいいと思った。この時29才。若い時には二枚目の役(前作「東京上空いらっしゃいませ」でもそうだった)が多かったと思うが、この映画では全くかっこいい所のない、むしろ情けない父親役を演じている。でも逆に初めて男の色気というものを感じられた。優しいが、優柔不断で、暖簾に腕押しみたいな所もある人間味のある役だったせいか。元々雅な雰囲気を持つ彼の京言葉はいい。私の好きだった男の子と重なる。ぐいぐい押しまくっても、まだ押すとこあるなと感じる、こういうタイプの男性に私は弱いのだろうな。
中井氏は、現在61才。年を重ねれば重ねるほど良くなってくる人、の見本みたいな人である。私は、現在55才。できたら彼のようにこれからますます良くなっていくような人物になれたらいいなと思う。ほんとに上手く年を重ねていくって難しい。老いに対しても希望を持てるようになれればいいのだが。
今回、このコラムを書くにあたり相米監督のことをもっと知りたくなったので、2021年、相米監督没後20年の節目に出された「相米慎二 最低な日々」という本を読んでみた。1994年から95年まで(46歳から47歳まで)雑誌連載されていた本人のエッセイらしい。監督を知るには本人が書いたものを読めば一番よくわかると思ったから。
そこには私と同じく、中年「おひとりさま」生活を満喫している監督の等身大の姿が描かれていた。私は何だか共感してしまって、読んだ後とてもほのぼのと楽しい気持ちになった。
お母さんやお姉さんと暮らし、女手にもその愛にも恵まれて、友達もいて、酒や美味しいもの、囲碁や競馬、俳句、温泉、旅行、好きなものがたくさんある(渋いし、らしい)。少し色っぽい出来事に出くわすことも匂わせてあり、それもまた人生の楽しみの一つとしているような生活。
映画ジャーナリスト、金原由佳さんによる監督への50の質問も載っており、「今、恋をしてますか?」の質問に「してます。」と答えたり、「どろどろの恋愛映画を撮ってみたいですか?」の質問に「自分がしているから、撮りたくない」というように答えたりしている。「いい年して今さら」とか妙に照れるとかではなく、恋に対して真摯で、「人間だからそりゃするでしょう」という姿勢がかっこいい。自分の頭髪のことについては自虐めいたことを言うのに、恋に対しては一切自虐なし、なのだ。
比較的最近見た(私はいつでも人より遅い)、1983年公開の「魚影の群れ」の中で、主人公の漁師(緒形拳)が元妻(十朱幸代)のところを訪ねるシーンがふと浮かんできた。情緒のある、官能的なシーン。中年男女の交わりも綺麗だなと思えたシーンだった。年齢とかで分け隔てしない(子供に対してもそうである)監督だからこそ描けたシーンではないかと思う。晩年の監督にもこういう状況がもしかしてあったのではないか?そして私にも訪れるかもしれない。53才で亡くなった監督を超えた年になった私だが、今回監督の生き方に触れたことで、まるでサシでお酒を酌み交わしたような気分になれた。そして、これからの人生に少し、希望の光をもらえた感じがした。
もうひとつ「モリタ、ソーマイ」に教えて貰ったこと。
お二人は私と同じように、子供はいなかったみたいだ。
ただ、二人の魂は今も映画の中で生き続けている。映画を見れば会って話をしているような気分になれる。
人は死んでも魂は死なない。
そして、その魂に心揺さぶられた人達に受け継がれていく。
そんな魂に恥じないような生き方を目指していきたいものだ。
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