つらつらと
なんだか、闘病の経験をまとめようと思って初めてたものの、ぜんぜん追いつかず、どんどん私の病状?も変化したり、いろんなことがあったりと。
楽しくなくなってきてしまっているのと、必要性を感じなくなってしまったように感じるので、もうこれからは特に気にせず、現状や日々思ったことをつらつらと書いていこうと思う。
とりあえず体のことは、
癌はどうにかなったのか、手術で子宮と卵巣一個とリンパ節とって治療はしていない。ただ、その手術の後遺症のようなものなのか、尿管に穴があいてしまい、そこにステントが入っている。
そしてまたそのせいか、感染症になりやすくなり、一年に4回ほど感染症になって入院する日々だった。
そんな感じ状況は1年半くらい続いたが、今は先手必勝だ!みたいな感じでステント交換を2ヶ月に1回やる作戦をしている最中。
正直これがとっても嫌だ。
前回ここにも書いたけど、前回あんなことをしてしまったせいかすごくすごくすごくすごく嫌な処置となってしまい、それが2ヶ月に1回もあるなんてかなりブルーになることで。
いやでも普通にめちゃくちゃ痛い。初回にあんな感じで取り乱したせいで、主治医にも心配され、今は眠くなる薬を使ってもらっている。
その薬なんか不思議で、去年とかは感染症になって入院して交換。の流れだったんだけど、だから体調も悪くて意識もあまり元気じゃ無いから薬がよく効いている気がして痛さはあまり感じなくなったように思っていた。
でも、処置が終わって・・の後、というか処置中の記憶もあまりなくて、でも処置が終わった後、ツイッター更新していたりして、だいたい処置が終わるとめちゃくちゃ眠くなるんだけど、寝て起きると、ほとんど記憶がない。
ツイッター更新しているの気付いた時、は・・?って感じだったもん。
そんな感じで入院中に交換に関しては、記憶がないから痛みもよくわからずそれは大変ありがたいことだと思って居た。
でも今は感染症になる前に予防的な感じで?交換しているから、元気だし、意識はっきりしてるしで、結構痛みを覚えている。記憶も前ほどなくならない。寝た後は覚えて居ないけど、数日すると思い出せる程度。
しかも処置中ぜんぜん眠くならない・・。めちゃくちゃいたいんだよなあれ。
しかも私の主治医の先生ってほんと独特というか、なんかつかめないわたあめのような先生なんだけど、処置の後まだほわ〜っとしている最中に、これから飲まなきゃいけない薬の説明とかする。看護師の人に、今伝えて大丈夫なの?!ってつっこまれ、挙げ句の果てに蛇みたいな文字のメモが残っていた。その字を見て数日後、いろいろ思い出せたわけなんだけど。
あと、今日思ったのは、もともとこのステントも、入らなかったら背中に穴開けてパックつるさげて生活しなきゃならなくなるみたいなことを突然言われて、その日も緊急入院したんだけど、明日処置をしてみてやってみなきゃわかんない。みたいな感じで。
そん時ほんとに机に突っ伏して泣いてさ。
明日のその処置で私の生活が変わるかもしれないって思ったら、怖すぎて。
しかもそれは私が選べるわけでも、努力して運命を変えられるわけでもなく、先生の処置の方法次第なのか、もともとの空いてしまった穴の状態次第なのか。
そんなわけもわからぬものに、自分の人生を左右される怖さ。
無念さ。悔しさ。
でも怖すぎてなんか無だった。
癌を宣告されたときもそうだったけど、確かに恐怖が襲ってくるし、それは私の中にちゃんと棲んでいるのも実感できるけど、その恐怖が見たこともない規模で、どうしていいかわかんなくて、処理できる範囲を越していて、
それは何か今までの感情にも置き換えれないもの。のような感じだった。
だから無。
怖いって泣いている自分を空から見ていて、ああ、演技しているってどこかで思っていた。
悲しみを味わっているんじゃないかとか。
本当に変な感覚を癌になってからたくさん経験した。精神面で、体でも。
前置きが長くなったけど、だから、そんな中、ステントは無事私の体を受け入れ、なんども詰まって入院させられていたけど、背中に穴が開く恐怖より、ずっとよかったんだって。
でも周りの人を見てみると、全く違うんだよね次元が。
背中に穴開けるか、ステント入れるかで恐怖で怯える人はいない。
どっちかっていうと既にわたしはもう癌になった時点で、周りの誰よりも不幸のような気がする。
選択肢が最低すぎる。
もっと、結婚するか、否か。みたいな悩みで幸か不幸か選別する世界感で生きていたかった。
結局今の方法で、入院はしないようになったけど、痛い処置は今まで以上にやらなければならないわけで。
しかも生きて行く限り、一生ステントをつけていなければいけないらしい私の体。もう保険に入ることも絶望的だ。
そんな考えが、この2ヶ月に1回交換するよ方式を先生に告げられた時、わたしの頭上にドカンと落ちてきて、それを処理できなかった私は、その落ちてきた考えを紐で縛って落ちないようにしてしまっていた。
どうして私なんだとなんども思った。
そういう考えはまったく気持ちのいいものではなく、友達に話すのも気がひける。でも何度もそういう考えではいけない、と、前向きに考えようとしていても、私の根の奥底にいる。
なんでみんなみたいに普通に幸せになれないの。
という感情。
もともと持っていたものが、癌がトリガーとなり、爆発したように思う。
わたしはかわいそうな人だってアピールしていい権利みたいな。
不幸だって証明できる、みたいな。
そんなものは本当に望んでたわけじゃないけど。
そんな考えを持つ自分が嫌で、苦しくて。色々考え方を変えようと、いろんなものを見たりしたけど、自己肯定感を高めようみたいなやつとか。
いろいろみていると、こういう考え方はよくないとか、こういう人が自己肯定感低い考えだとか、自己肯定感の高い人はこう考えているとか、毎日自分を褒めようとか、全てに感謝するとか、ごめんなさいほんとにうっせーわって感じで。
最終的に、なんでそんなこと決まっているだろう、だれが誰にたいしてこんなことを発信しているのか、そもそもそれぞれの価値観があり、自分を好きになれなくても、自分の考えが周りのプラス思考という考えにあてはまらなくても、その気持ち全てがどれも尊いものではないのか、それが自己肯定感じゃんってなり。
しかも自己肯定感高めないとダメなの?高められないやつはだめなの?
むしろその高い低いってなんなの?その基準てなんなの?
そうやって白黒つけようとする考えがもともと変じゃね?
世間一般がいってるポジティブシンキングが嫌いでもよくね?
なんでみんな同じ方向に向かわせようとすんの?
いや、そんなことないのかな、すんません。とりあえず放り投げた。
なんかもうわたし体もどちゃくそだし、もう普通の健康スペックの人、というか、癌になる以前の私に合わせてももう無駄だ。
もう多くの人、知らんけど、よくある幸せの価値観とか、それに合わせようとすんのやめようって思って。
友達がこないだ、「来世に期待する」って言ってたんだけど
その言葉がすっごいしっくりきて。
もういい意味で全て諦めたんだ。
本当はわたしだって健康でいたかったし、自分の遺伝子を残したかった。
病院代に何万も払って、もともと少ない給料がどんどん減って行くのも悲しかった。
でも周りと比べるのは良くないとはよく言ったもので、本当にそうなんだと身を持って知った。
そんなことをしていたらきりがなく、どんどんどんどん身が裂かれていくばかりだ。実際身は剥がれまくって現在修復中。
あとは、癌の手術したあとに、社会復帰したがうまくいかず、精神的に相当参っていて、ぐちぐちぐちぐち愚痴ばかりをいっていた時に、
「あなたより辛い人はたくさんいるんだよ」と言われたことがあって。
彼女はわたしの愚痴を聞くのがもう耐えられなかったんだと思う。だからそんなことをいったのかもしれないし、そこを責めたいわけではないけれど
これを言われたときに、すごくハッとして。
その考えも、周りと比べているのとおんなじで、言えばきりがなく、ずっとつらい世界。
わたしも癌で闘病しているいろんな人の記事を読んだりして、わたしがステント交換でギャーギャー言ってるのはほんと恥ずかしいことだとか、さっきまでずっと言っていたような悩みも、他の誰かに比べてたらバカみたいな話なんじゃないかとか、思ったりもしていたけれど
それってその比べているもっと辛い人にめちゃくそ失礼なだけだし
ていうかもっと辛い人ってなに?どのさじ加減でもっと辛い人になるの?だし
そういってわたしのほうがまだましマウントとってるんですか?になるし。
そもそも辛さって本人のものさしでしか測れないから、病気の辛さも、失恋のつらさも、親に認められなかった辛さも、辛い一択でしかない。
辛い一択。
そこに他人と比べて共有できるレベルはないんだと。
みんな一列にならんであれこれ測れるものなんかなにひとつないのよ。
(ふと思ったんだけど、不幸も幸せも同じくらいパワーがあって
得ていると安心するのかもしれないね
わたしが幸せだ!とか、不幸だ!ってなにかのチームに所属しているみたいな。
そういう時に人と勝手な一方的な価値観で比べたりすると、安心素材が増えるのかもしれないね
不安定な幸せや、不幸を確かなものにできる。みたいな。)
こんなこと百億人くらいの人が言っていることでみんな知ってることなのかもしれないけど、わたしは初めて理解できた。
たまに忘れるけど。
その他大勢の中の私。ではなく、その他大勢と、わたし。
と考えるのが一番心地いいのかもと思った話です。
前置き?無駄な話がクソながくてうんざりするけど
とりあえず、自分の頭の中を整理したくてアウトプットしている。
今日は以上です。
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