視覚障害者の僕が『パラリンピックを目指す』ようになった!話し。
今回は『パラリンピックを目指す』ようにんなったきっかけについて。
(過去の投稿で『走る』きっかけや『マラソンに挑戦』について書いてます)
マラソンに挑戦することになり、小さいころからスポーツは好きだったので、走るからには速く走りたい。
そんな気持ちになって、マラソン完走へ向けて練習しようと決意。
しかし、問題が発生です。
視覚障害者のランニングクラブの練習会は月2回。
それ以外で練習したいと思っても、僕走者の方がいないと外ではすぐに走れない。
マラソン挑戦の前に、大きな壁があって、練習したいときに走れる環境がないことを痛感しました。
また安全に走れる環境もそんなにない。
これはマラソン競技だけでなく、ほかのパラスポーツ全般に言えることです。
パラスポーツには、こういったいろいろな問題が様々あります。
走りたいときに走れない。
そんな悩みを持っていた時に、初めて参加した視覚障害者のランニングクラブの伴走者の方々から、
『平日は無理だけど、土日だったら一緒に走れるよ』
『この日は休みだから一緒に走れるよ』
そういった、嬉しいご連絡をいただきました。
そう、伴走者の皆さん、ブラインドランナーの悩みを知っていて、そういった悩んでいることを気づいてくれます。
一緒に走ることだけが伴走じゃなくて、走る前からどうやったら目標に向かって走れるか伴走してくれます!
そうして、いろんな方々が伴走サポートしてくれることになりました。
そのおかげで、日替わりでたくさんの方に伴走してもらって大会へ向けて練習できるようになりました。
そうやって練習できるようになって、次第に速く走れるようになっていき、大会まで残り1ヶ月。
伴走者の方から今の実力だと目標タイムは3時間30分ぐらいかな、というアドバイスをもらい、初マラソンで3時間30分切りを目標に走ることを決めました。
そして初めてフルマラソン挑戦の日がきました。
(さが桜マラソン2014)
練習通り走れば、目標タイムで走れる計算。
しかし練習で1番長く走った距離は30km。
なので、30kmからもペースを落とさずに最後まで走りきれるかどうか、不安とドキドキな気持ちでスタートしました。
初めてのマラソンで、こんなにランナーが多いことにビックリ。
スタート直後は全然、予定したいたペースで走られない。
初マラソンの前半は、一生懸命すぎて、あんまりどんな走りをしていたか、よく覚えていない💦
ただ、30km地点は伴走者の方がうまくペースを作ってくれて順調に予定より少し速く走る。
ただ30kmを過ぎてから少しずつきつくなり息があがる。
35kmぐらいになると脚も動かなくなってきて、ペースも落ちてきました。
心のなかで
「歩きたいなぁ」
と、そんな気持ちも出てくる。
しかし、沿道からの
『がんばれー』
『ファイトー』
などの声援があると
「もう少し、頑張ろう」
という気持ちになる!
このとき、初めて声援のチカラを感じました!
人は応援されると頑張れるってことを肌で実感しながらゴールを目指しました。
伴走者の方からも
『ゴールまであともう少し、このまま走れればまだ3時間30分を切れる!』
と、声かけしてもらいながら、最後のチカラを振り絞る。
そして、なんとか一度も歩くことなくゴール!
初マラソンのタイムは3時間25分17秒。
全力を出し切っていたので、ゴール直後は
『ヤッター』
とか、喜びを爆発させるというより(もともとそんな性格でもない)、目標タイムで完走できたことでホッとした気持ちが強かったです。
それから、今までにない充実感・達成感・安堵感が出てきました!
今までいろんなスポーツをしてきましたが、これはマラソンに挑戦してやりきった人にしか味わえないいろんな感情が混ざり合う感覚。
これがマラソンの1番の魅力だと思います!!
ただ実は、僕にはそれ以上に嬉しいことがありました。
それは、一緒に走ってくれた伴走者の方、今まで練習で伴走してくれた方々、大濠公園ブラインドランナーズクラブの皆さんが、
『やったー』とか、
『おめでとう』
などなど、まるで自分のことのように一緒に喜んでくれたことです!
視力や視野が徐々に悪くなって見えなくなっていくことで、できることが少なくなっていくなか、こうやって自分が頑張れば、喜んでくれる人達がいることをこの時に初めて感じました。
本当にそれが嬉しくて、もっと速く走りたい、頑張りたいと思うようになりました。
そう、速く走ってパラリンピックに出たい!
メダルを獲ってみんなで一緒に喜びたい!!
この想いが『パラリンピックを目指す』きっかけ、そして夢となりました。
と、いうことで、これが僕が『パラリンピックを目指す』ようになったきっかけの話しです。
結果的に東京パラリンピック、パリパラリンピックとチカラ不足で目標達成・夢を叶えらず。
(リオパラリンピックも実力不足でしたが、クラス分けに間に合わずもともと出場資格はなかった)
チーム山下として活動してきて、サポートしてくれた皆さんと一緒に喜ぶことができず、ただただ申し訳ない気持ちで終わってしまった。
ただ、パラリンピック出場の夢は叶えることはできなかったけど、走り続けるなかで、新しい夢や目標がたくさんできました!
今はやりたいことだらけ。
(雑談投稿で投稿しています)
なので、今はその新しい夢や目標に向かって、引き続きチームとして走っているところです。
ざっと、あらためて
『走るきっかけ』
『マラソンに挑戦』
『パラリンピック挑戦』
を振り返って、初心の気持ちになった やまぴー でした。
ではでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
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視覚障害者の悩み解決と夢を叶えるための学び日記。
視覚障害者(弱視)当事者です。 福岡県福岡市を拠点にブラインドランナーとして活動している山下慎治です。 日常の暮らしのなかで気づいたこと、…
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