視覚障害者の僕がマラソンに挑戦することになった!きっかけの話し

前回は僕が『走る』きっかけについての投稿しましたが、今回は『マラソンに挑戦することになった』きっかけについてお話しです。

『走る』きっかけは、30歳ごろにダイエット目的でトレーニングジムで走りはじめて、それから地元の福岡市にある視覚障害者のランニングクラブの大濠公園ブラインドランンニングクラブへ参加したことでした。

そして、はじめて一緒に走ってくれる伴走者の方と『絆』と呼ばれている伴走ロープを持って一緒に走りました。
今では、当たり前のように伴走者の方と伴走ロープを持って走る方が安心して走れるけれど、この時はまだ今よりも多少は見えていて白杖も使っていない時で、伴走ロープを持って走ることに抵抗がありました。

はじめは、腕振りもぎこちなく、腕振りもバラバラで思うように息があわずに走れませんでした。
ただ、ペアになった伴走者の方がベテランの方で、少しずつ私の腕振りや走りにあわせて走っていくうちに次第に息があった走りになっていきました。
そして息があって走れるようになると、まるでひとりで走っているような感覚で走れて、久しぶりに風をきって走る疾走感が気持ちよく感じられて、はじめて走ることが楽しいという感覚がありました。

そして何よりも、不安なくおもいっきり全力で走れる、目が悪くなってからできなくなっていたことが、またできることに変わった瞬間でした!
そういった嬉しさ・喜びも感じた。

目が悪くなる前まで、ラグビーをしていたときの走る練習といえば、キツイとか、苦しいというイメージでしたが、このときはじめて走ることが楽しいとか気持ちいいと感じることができました!!

トレーニングジムで走っていたこともあって、大濠公園を10kmぐらい走ったら、伴走したくれた方から

『こんなに走れるんだったら、マラソン走れるよ!!ぼくが伴走するからマラソン大会に出てみようよ!!』

そんな言葉をもらいました。
とっさに
『いやいや、マラソン無理です』
と、答えました。
もともと、そんな気持ちで練習会に参加していたわけではなかったので、考えることもなく拒否してしまいました。
ただ、そのあとも伴走者の方が
『絶対に人生変わるから挑戦してみようよ』
など、お誘いの言葉をくれました。

そんな熱心な気持ちで誘ってもらっているうちに、走ることが楽しく、気持ちいいなと感じていたこと、いろんなことに挑戦していた時期でもあり、
『一生に一度ぐらいならマラソンに挑戦してもいいかな』
と、次第に心変わりしていきました。

そして、一度はマラソン挑戦を拒否しましたが、マラソンに挑戦する決心をしました!!

おそらく、このマラソン挑戦のお誘いがなければ、自分からマラソンに挑戦しようかなという気持ちまではいかなかったと思います。

ということで、これが僕がマラソンを走るきっかけとなりました。

あらためて、何気ない会話やひと言から挑戦するきっかけや夢をもらえたことに本当に感謝感謝です。

それでは次回は『パラリンピックを目指す』きっかけについて投稿したいと思います。

ではでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
PS.ハートボタン押してもらえると嬉しいです (^^♪
【ハッシュタグまとめ】
#視覚障害
#視覚障がい者
#網膜色素変性症
#全盲
#弱視
#ロービジョン
#白杖
#点字
#パラリンピック
#パラアスリート
#パラリンピック
#伴走
#伴走者
#ガイドランナー


ここから先は

0字
パラアスートだけなく、鍼灸マッサージやファスティングマイスター、健康美容食育士などの資格を持って活動しています。 健康が全てではないが、健康でなければ全てを失う。 健康をサポートする仕事に興味ある方はご連絡下さい。

視覚障害者(弱視)当事者です。 福岡県福岡市を拠点にブラインドランナーとして活動している山下慎治です。 日常の暮らしのなかで気づいたこと、…

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?