雑誌を作っていたころ037
書店営業
出版社における営業の仕事は、その版元の性格によってずいぶん違う。雑誌しか出していないところは、取次回りと納品の管理、返品の処理、バックナンバーの品出しがおもな仕事。在庫を抱えることが基本的にないから、倉庫も必要ない。あとは取次から受け取る手形を経理に回して伝票を書くくらいだ。
しかし書籍やムックがあると、仕事はかなり複雑になる。書籍は新刊だけで商売するのではなく、ロングセラーや「コバンザメ売り」、「ワゴンセール」などがあるし、地方新聞の書評とか個人のブログとかをきっかけに突然売れ始めることもあるから、そういう場合の対応もしなければならない。増刷や絶版を決定するのも営業の仕事だ。
(コバンザメ売り=書店店頭において、自社や他社の売れている関連本に引っかけて、売りたい本を目立たせる方法。隣に並べたり、書店にフェアやワゴンセールを持ちかけたりする)
(ワゴンセール=書店店頭で、同じ著者や同一ジャンルの本をワゴンに積んで売る方法。店員の手書きPOPなどがあると、効果があるといわれる)
ムックはさらに面倒くさい。一般に雑誌と書籍は取次でも扱う部署が違い、別の梱包で届くのだが、ムックは雑誌ルートを流れてくる書籍的な大型本である。返品期限は無期限だから、10年前のものが返ってきても対応しなければならない。そのくせ、製本が書籍よりもヤワだからすぐ造本事故が起きる。返品もヤレ本になっていることが多いので、再出荷できなかったりする。
青人社はムックコードはなかったが、書籍は出していた。なので営業部員は書店営業もしなければならない。といっても大手のように地域分担などはできないから、何かのついでに回ることになる。この「ついで」が各地で開催される「トーハン会」と「日販会」である。
ぼくがよく行ったのは、名古屋と京都、大阪。神戸も震災の後で出かけたし、岡山と広島も1回だけ顔を出したことがある。本当は全国に行くべきなのだが、そうなると部決と出張でほとんど会社にいられなくなってしまう。書店蒔きの拡販チラシもぼくがMacで作っていたので、会社にいる日がないのはまずい。
そういうわけで、売れ筋の地域にしか行けなかったのだ。
最初に名古屋のトーハン会に行ったのは、馬場さんがかつて平凡社の営業課長だったころ、名古屋を得意にしていたからだった。トーハンの支店長や有力書店である星野書店の社長などが知り合いなので、電話で「よろしく頼む」と言ってもらえばすぐ顔つなぎができると思ったのだ。実際、「人脈というものはすごい」と思い知ることになった。
名古屋ではもう一つ、忘れられないエピソードがある。立風書房の営業の人がトーハン会でいろいろな書店に紹介してくれたので、彼にくっついてその後も回ることにしたのだが、最後は書店の2階で飲み会になった。池下三洋堂という三洋堂書店の本家が会場で、そこに小学館や岩波書店をはじめとする出版社の営業部員が20名ほど顔を揃えていた。
出版界は、編集こそライバル同士だが、営業は横の連帯が驚くほど強い。「競っているのは編集で、俺たちは同業者」という感覚があるからだ。しかも会社の大小にまったく関係なく平等に付き合う。仲のいい営業部員のチラシを預かり、「俺がついでに撒いてきてやるよ」などということは日常茶飯事だ。取次に行って顔を合わせたりすると、その後の行動が一緒になったりする。そのまま飲みに行くことも多いのだ。
話は戻って池下三洋堂の2階。飲み会を仕切っている加藤専務は強烈な握力の持ち主で、いっぱいに入っている日本酒の一升瓶を、底の部分を片手で握って相手に注いだりする。子供のころから梱包された本を運んでいたので、ひとりでにそうなったのだそうだ。「まずは握手」と挨拶されたが、1時間くらい手が痛かった。
この会には恐ろしい掟がある。新人会員は、大きな土鍋のフタを持たされ、湯気抜きの穴を指で押さえて捧げ持つ。そこに専務が片手で持った一升瓶の酒をどばどばと注ぐ。そして自己紹介の後、飲み終えるまで立ったままでいなければならないというのだ。20人が車座になっての飲み会だから、土鍋は当然巨大。そのフタには、軽く5合は入ると思われた。
どうやって飲んだのか、もう覚えていないが、ぼくはなんとかその酒を飲み干した。途中、「おい、はやくフタをくれよ。煮詰まっちゃうだろう」と催促されたのを覚えている。
それでも翌日、朝からチラシを持って拡売に行ったのだから、あの時代はタフだった。もしかすると訪問先の書店は、酒臭さに辟易して注文用紙にハンコをついてくれたのかもしれない。
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