雑誌を作っていたころ064
美術展のお手伝い
版画家の片野孝志先生は、青人社時代からいろいろとお世話になっていた人だ。お酒が大好きで、千駄ヶ谷のアトリエには毎晩のようにいろいろな人が集まって酒盛りをしていた。ぼくも先輩編集者に連れられてお邪魔してからというもの、朝まで飲み明かすという無茶を何度もお許しいただいていた。
片野先生との最初の仕事は、「月刊ドリブ」で「生ビールのアルミ樽を使ってワインを蒸留し、ブランデーを作る」という実験記事を実施したときだ。片野先生のお宅をお借りして、ぼくが作った蒸留装置を組み立て、一升瓶の赤ワインをうっすらとピンクに色づいた蒸留酒に変えた。蒸留装置からは少しだけだがアルコールの蒸気が漏れ、お酒が1滴も飲めないカメラマンの清水啓二氏が酔っぱらって倒れてしまった。
先生は「試飲のつまみに」と鹿肉のステーキを用意。お料理がお得意で、お酒が大好きな奥様が焼いてくださった。できた蒸留酒の感想は、「これはブランデーというより、グラッパですね」だった。グラッパというのは、イタリア原産のワインの粕取り焼酎のことである。
次に先生と仕事をしたのは、「日本こころの旅」の編集長になってから。このときは先生の本職である版画で、目次や巻頭言のバックを彩っていただいた。と言っても、新規に作品を作っていただくのではなく、日本の伝統文様を和紙に刷って作りためてある作品から、「今回はこれにしよう」と選んでいただくのだ。そういうプロセスのため、レイアウトデザインを担当していた池田枝郎氏も同行して、朝までの酒盛りに付き合ってもらったことも多かった。先生が一番力を入れている「王朝継ぎ紙」のことを知ったのは、たぶんこのころだ。
「王朝継ぎ紙」というのは、平安時代に頂点を極めた和紙工芸の一種で、さまざまな色に染められた和紙に文様を雲母(きら)刷りしたりしたものを材料に、直線的に切り継いだり、手で自由に破り継ぎしたりして完成させた、和歌を書くための美術工芸材料である。和歌を書くための装飾和紙を「料紙」というが、その最高峰が王朝継ぎ紙というわけだ。現存している王朝継ぎ紙の代表としては、国宝の「西本願寺三十六人家集」がある。
ぼくは平凡社時代に、この「西本願寺三十六人家集」のことを知っていた。定価1万円を超える豪華雑誌「別冊太陽愛蔵版」で、和紙に原寸で印刷した西本願寺三十六人家集が目玉企画として掲載されていたからだ。「世の中には自分の知らないすごいものが、いくらでもあるんだな」と思ったものだ。
片野先生から「作品展をやるので、手伝ってくれないか」と頼まれたのは、ぼくが悠々社を立ち上げて、「開業マガジン」を出してからのことだった。それまでマネージメントをやっていた会社と不仲になってしまったので、悠々社に手伝ってほしいというのだ。長年お世話になっている先生の頼みということで、二つ返事で引き受けた。
作品展というのは、銀座松坂屋での「源氏物語展」。片野先生は料紙で表現する源氏物語絵巻を出品することになっていた。ほかには、人形作家の方が参加していた。ぼくは先生のサポート役として、いろいろなパネルや会場で販売する図録、グッズなどを作った。図録は突貫作業で取材、撮影、原稿執筆を行い、かつてお世話になった東京印書館に印刷してもらった。あわせて、先生の作品を複写したポストカードも20種類ほど作った。
ただ、素人が中途半端に手を出して儲けが出るほどの甘い業界ではない。銀座松坂屋、新宿高野ギャラリーと、2箇所での美術展をお手伝いした結果、かなりの赤字を出してしまった。未知の分野における経験という貴重な財産を得ることはできたが、この事業は悠々社の貧乏にさらに拍車をかけることとなった。