
自分の感受性くらい
この「自分の感受性くらい」というタイトルは
茨木のり子さんという方の詩のタイトルです。
ご存じの方も多いかと思います。
今は学校の教科書にも
載っているのかな?
私は約18年前にお世話になっていた
飲食店のママさんから教えてもらいました。
当時、生活に追われており
仕事と家の往復のみの生活。
必死過ぎてその当時の記憶を
うまく思い出せないくらいの状態でした。
そんな時、久しぶりに学生時代の同級生から
その飲食店で飲み会があるから来ないか?と
お誘いを受け参加することにしました。
そこに集まる同級生達は
みんなオシャレをして好きなことをして
人生を謳歌している様子。
その光景を見た私は自分だけが
取り残された気分になり愕然としたのです。
そのママさんは音楽が好きで
定期的にライブイベントを
企画し開催されていました。
わたしは中学時代からギターを弾いていました。
それを知っている同級生が
そのママさんにギターが弾けることを伝えたところ
「ライブの前座で出演しない?」
と、お誘いを受けました。
最初は
「下手なんで無理っす…」
と断ったのですが、
「うまいか下手は聞いていない」
「やりたいのやりたくないの、どっち?」
と満面の笑顔で言われ、
私はとっさに
「や、やりたいか、やりたくないかいうと、やりたいですかね…」
と答えていました。
おそらく、そのママさんは
わたしの欲求を見抜いていたのでしょう。
内心、心配でしたが
ワクワクしている自分がいました。
「やりたいなら、その気持ちに正直にならないとね」
と言われ、続けて教えてもらったのが
この「自分の感受性くらい」の詩でした。
「自分の感受性くらい」
茨城のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
ココナラ恋愛相談で
お話をお聞きしていて
この詩を伝えたくなる
瞬間が多々あります。
誰かの幸せを最優先して
ご自身のことを後回し
気付いた時には
疲弊してしまっている。
それでもなおご自身を
責めている。
そんな場面に立ち会うたびに
「尊厳の放棄」だけはしないで…
自分で自分を労わってあげて。
と、心の中でエールを送りつつ
お話に耳を傾けることしかできないのですが
それで良いのだと
思っています。
なぜなら
人は自分で答えを見つける
チカラを持っているから。
お話しをお聞きするたび
そう感じます。