ヒトの運動能力
身体的健康のなりたちの最後となる4番目の要素は「運動」です。
ヒトは動物なので、生き続けるためには動かなければなりません。
動物は植物と違って細胞内に葉緑体を持たず、太陽光線のエネルギーを自らの生命活動に必要な形へと変換することができないため、動き回って栄養源となるものを見つけ、それを確保しなければ、エネルギーが不足してしまうからです。
動物は栄養源を他の生物に依存せざるを得ません。
海中で暮らす海綿や珊瑚などは、波間に揺蕩うプランクトンなどを捕食するので、じっとそれらがやって来るのを待っているだけで栄養摂取できますが、たいていの動物は、頻繁に動き回って、食べるための生物を探す必要があります。
また逆に自分自身が食べられてしまうのを避けるため、捕食者から機敏に逃げる必要もあります。
さらに子孫をつくるためのパートナーを探し求めることも、生物として自分のDNAを残すために、なくてはならない行動です。
このように大多数の動物にとって、運動は生命活動の必要条件となっており、動けなくなった時は即ち死ぬ時です。
敏速に動くことができなくなった動物は、食べる物を得られないだけでなく、逆に食べ物となってしまいます。
地上の重力や水中の抵抗に抗ってからだを動かすことは、莫大なエネルギーを消耗する行為ですが、生死のかかった動物たちは、必要に迫られ四の五の言わずに運動します。
運動能力は、その個体の寿命を直接左右するものなのです。
ところでヒトは、他の多くの動物たちに比べ、運動能力がほとんど備わっていない状態で誕生してきます。
生まれたばかりの赤ん坊は、足で立つことも座ることも顔を上げて周りを見回すこともできず、からだの維持成長に必要な食べ物を自力で探し回ることもかないません。
それどころか、食べられるものと食べられないものの区別もできず、たまたま手に触れたものは、毒でも薬でも無造作に口に入れてしまいます。
海中の最弱生物はマンボウだという都市伝説が一時期話題になりましたが、地上最弱の生き物はヒトの赤ん坊なのではないか?と思います。
その上ヒトの子供は、他の哺乳動物たちと比べて著しく成長が遅く、1年2年どころか10年経ってもまだ成熟には至りません。
幼少期のヒトの子は、運動能力においてあらゆる面で他の動物に劣っています。
からだの大きさでは優っている犬や猫、猿などに対して、もし戦いを挑んだとしても、相手が本気ならばイチコロで負けてしまうでしょう。
ところが成熟したヒトの運動能力は、動物界でも特殊な位置を占めています。
強さや速さでは見劣りするものの、移動の際の持久力については、ヒトは地上動物界でナンバーワンと言っても過言ではありません。
例えば馬は1〜10km走では確実にヒトより速く走れますが、その速さのまま20km以上続けて走ることはできません。
しかしヒトは、訓練さえすれば20kmどころか40kmでも80kmでも走り続けることができるので、どこかの地点で必ず先行した馬に追い付き追い越します。
強い牙も爪も持たず、毛皮のない弱々しい皮膚で全身を覆われたヒトというサルが、数百万年もの間、絶滅せずに生き残って来られたのは、只々何時間も獲物を追いかけ続けることができたからです。
追いかけられ続けヘトヘトに疲れ切った動物が、うずくまって休んだところに、ヒトの持つもう一つの卓越した運動能力である投擲力を使って、石や槍を投げつけます。
また相手が強く大きな動物の場合には、複数人で徒党を組み、団体競技力を駆使して狩り座を形成し、チームワークで抹殺します。
こうした「ヒトならでは」の特殊な運動能力を理解して、日々の生活の場に生かすことが、からだの健全な活用につながります。
次回からはそのことについて、もう少し詳しく見ていきたいと思います。