直観 我思うゆえにゼロあり
ローマ帝国西端に位置し、ローマ人からヒスパニアと呼ばれたイベリア半島は、ヨーロッパの一部でありながらもアフリカ大陸を間近に望むロケーションから、中世世界における文化の交雑点として発展しました。
711年イスラム王朝のウマイヤ朝に征服され、300年間以上ムスリムの勢力下となっていたイベリア半島中央部の街トレドは、1085年キリスト教国のカスティーリャ王国によってレコンキスタされ、イスラム文献をアラビア語からラテン語に翻訳する「トレド翻訳学派」の拠点となりました。
イギリス生まれのロバート・オブ・チェスターは、イスラム文化とクリスチャン文化が入り混じる12世紀のイベリア半島を旅する中で、しばらくの期間トレドに滞在しています。
この街で彼はアラビア語で記された『クルアーン』や『錬金術の構成の書』などに加えて、アル=フワーリズミーの『アルゴリトミ・デ・ヌーメロ・インドルム』をラテン語に翻訳し、ヨーロッパに初めて「ゼロ」の概念をもたらしました。
一方でイタリアの数学者レオナルド・フィボナッチは、エジプト、シリア、ギリシャ各地を旅して学んだアラビア数字による計算法の体系をまとめ、1202年『Liber Abaci算盤の書』として出版しました。
この本の中でフィボナッチは、0から9までの数字と位取り法、幾何学、代数学とともに、インドで発見されていた自然の中に見られる黄金数を紹介しており、後の世に「フィボナッチ数」として知られるようになりました。
「ゼロ」の概念はこのように12~13世紀にはヨーロッパに持ち込まれていたのですが、それが受け入れられるまでには数百年もの年月がかかりました。
中世ヨーロッパ社会の宇宙観は古代ギリシャから受け継いできたものでしたが、ギリシャでは「ゼロ」の存在は認められておらず、ピュタゴラスやアルキメデスでさえそれを否定していたからです。
中でもアリストテレスの哲学が、スコラ学の中心的思想としてキリスト教宇宙観に取り入れられていました。
この宇宙は地球を中心とした有限の球体であり、天球空間にはアイテールと呼ばれる物質が充填していて、空虚というものはないとされていたのです。
そのため「ゼロ」は悪魔の数字とみなされ、「無」や「無限」といった概念を語ることをローマ教皇庁は異端とし、処罰の対象としました。
1600年にはイタリア出身のドミニコ会修道士ジョルダーノ・ブルーノが、「完全なる神の力は無限であり、神の創造した宇宙や時間も無限である」と言ったため火刑に処されています。
17世紀は科学革命の時代とされ、ヨーロッパの宇宙観は「コペルニクス的転回」を起こすことになりますが、その思想的先駆者として現れたのが、1596年フランスで生まれたルネ・デカルトです。
デカルトはイエズス会の学校で神学や数学、スコラ哲学などを学びましたが、中でも数学の明解性を好み、逆に文字による学問(人文学)は信用できないと感じて放棄し、「世界という大きな書物」を探究しようと放浪の旅に出ました。
そして明証的に真であると認められるもの以外は決して受け入れないという「方法的懐疑」を推し進め、1637年に発表した『方法序説』において、「自己の精神に明晰かつ判明に認知されるところのものは真である」として“Cogito, ergo sum.(私は考える、ゆえに私はある)”という命題を哲学の第一原理として設定しました。
デカルトのこのフレーズは、その後のヨーロッパ社会と人間世界の行く末を良くも悪くも決定づける、強力なマントラ=呪文として機能することになります。
デカルトはさらにその主著『省察』で、Ego sum, ego existo.(私はある、私は存在する)と述べ、この命題はあらゆる思惟思考が成立するための前提としてもっとも確実な認識である「直観的認識」に基づいて成り立つとしています。
つまりego(私)の意識の存在は疑いようもないものであり、cogitatio(思考)の紡ぎ出す原理や命題は全て、私自身の「自己直観」という認識を前提にしているのだといいます。
デカルトは自らの根本命題から、他の全ての命題を数学的演繹によって証明することが可能であると考え、神の存在証明や心身二元論、機械論的世界観などを導き出しましたが、もとを正せばその論理体系は「私はある」という直観の上に乗せられたものなのです。
「全学問の数学化」を目指したデカルトは、古代ギリシャから受け継いだ幾何学と、インドからイスラーム経由で渡来した代数学の融合を試みました。
そして2つの実数によって平面上の点の位置を表す「デカルト平面」と「座標」を考案し、幾何学的な図形を数の関係で表し代数を用いて研究する「解析幾何学」の方法を創始しました。
「デカルト座標」上ではX軸とY軸という2本の座標軸の交点をorigin(原点)と呼び、その点を「O」と記します。
この文字はoriginの頭文字のOからとったものですが、座標上では(0、0)という位置を示しています。
デカルト座標系は数学だけでなく物理学の世界でも重宝されるようになり、ニュートン力学の基盤として使われるなど、17世紀科学革命を推進するための、なくてはならないツールとされました。
デカルト亡き後、多次元に拡張された座標系には行列やベクトルの概念も加えられ、コンピュータ・グラフィックスやA IなどのI T技術にも欠かせない、現代科学の必須アイテムとなっています。
デカルトとの出会いによって「ゼロ」はその存在をヨーロッパ世界に認められ、まさに近代科学文明の「原点=オリジン」となったのです。
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