精神機能 ココロとのかかわり
近代医学は物質と精神とを分離させ、物質的なことのみを取り扱うことで発展した、デカルト、ベーコン、ニュートンらの手法による近代自然科学の上に成り立っています。
そのため近代医学の医師(医学ドクター)は自然科学者でもあり、その診断や処方には常に科学的根拠が求められます。
臨床においてはデータに基づくEBM(Evidence-Based Medicine)が重要とされ、診療の際、患者の感情や心の状態は二の次とされます。
血液検査や画像検査など近代医学の用いる検査法は、人類が今まで手にしたことのないような素晴らしいデータを提供してくれますが、ことココロの問題に関しては客観的な測定方法や測定基準が未だ存在せず、根拠に基づいた的確な診断ができないからです。
臨床医学は大きく身体医学と精神医学に分けられますが、そもそも精神を取り扱わない事にした近代科学の一分野である近代医学が、精神疾患を対象とする事には大きな矛盾があります。
日本全国全病床の平均入院日数が29日なのに対して、精神病床の平均入院日数は、285日と極端に長期間となっています。
それは精神疾患に対して科学的根拠を持った診断をすることが本質的に無理なことであり、そのため有効な治療方法が未だに確立できていない事によるのではないかと思われます。
ヒトは当然のことながら、ココロとカラダの統合で成り立っています。
ココロが病めばカラダも病みます。
カラダが病めばココロも病みます。
しかし、カラダが健やかならココロも健やかでいられるのか?というと、どうやらそうでもないようです。
「健全な精神は、健全な肉体に宿る」
という言葉は、古代ローマの詩人デキムス・ユニウス・ユウェナリスの名言であるとされていますが、これは実のところ、ナチスドイツが体力増強スローガンとして、歪曲してプロパガンダしたものなのだそうです。
ユウェナリスが『風刺詩集』の中で記しているのは、
「健やかな身体に、健やかな魂が願われるべきである」
という、体力ばかりあるけど心の成熟が伴わない市民たちを嘆いた言葉です。
ヒトをヒト足らしめているのは、カラダであると同時に、カラダを含めたココロです。
ココロの状態次第でヒトは健康にもなるし、不健康にもなります。
ココロの状態次第でヒトは幸せにもなるし、不幸せにもなります。
ココロの健康はカラダの健康のための必要条件であり十分条件でもあり得ますが、カラダの健康はココロの健康のための必要条件であっても十分条件ではないのです。
前回、「健康と病気は別々なものではなく、健康という全体性の中の一部分に病気という状態も存在する」
と書きました。
これはカラダについてもココロについても言える事ですが、ココロに対しての方がしっくりくる表現かもしれません。
ココロの健康は、過剰なストレスの中で生きている現代人にとって最重要事項であると言えます。
適切なストレスマネジメントを生活の中に組み込むことは、誰にとっても必須課題となっています。
そのための具体的方法については、これから追々語っていきたいと思います。
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