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「極論」の時代に、中庸をめざして(往復書簡:第7信)。

安西洋之さん

ものすごく時間が空いてしまいました。2020年も終わろうとしています。学生を除けば、今年もっとも対話したのは、安西さんでした。物理的にみれば10,000km近くも離れているのに、不思議なものです。それ自体は、今までも可能だったはずです。なのに、今までそれをしようとは、特段考えもしなかった。今年の病禍が、それを行動に移させた。その奇遇を思わずにはいられません。

言うまでもないことですが、この病禍、まったくもって軽視できないものであることは重々承知しています。往復書簡で述べることではありませんが、しかしこの病禍で身体的、経済的に負の影響を受けられた方に、深く心を寄せたいと思います。

大きな変動は、極論を誘発しやすい。そのなかで、関係性から地道に考えていくという企て。

今年、文化の読書会、そしてデザイン文化の研究会と、2つのオンラインでの読書会・研究会をご一緒させてもらいました。二つとも、どちらもスリリングで、おそらくこれからも長く続いていくのではないかと感じています。

文化の読書会、きっかけはメッセンジャーでの対話のなかで「ビジネスについてではなく、文芸とかに関する文献を読んでみたいですね」という私の発言からでした。そのときは、ものすごーく軽い気持ちだったのですが(笑)、とんとん拍子に話が進んで、あっという間に実現する運びになりましたね。

しかも、その最初にブローデル『地中海世界』を読み始めたのが、偶然とはいえ、ものすごい転機でした。

私自身、ブローデルという人の名前は聞いたことがあったものの、読んだこともなく、どちらかというと、もともとがフランス語というだけで避けてるところもありました。けれども、読み始めてみて、「あ、これは今、読んでおくべきだ」という確信に変わるのに、時間は要しませんでした。

最近、いろんな面で極論が、もっというと原理主義といってもいいかもしれませんが、これもあえて強めの言葉を使うなら「跋扈」しているように、私には感じられます。ここ数年そうだったともいえるのですが、一つの原理を信奉して、それ以外の要素を排除しようとするような姿勢、何ならもっと浅いもので、単に二者択一的にしかものを考えられなくなっているということなのかもしれません。

私自身は、ルーマンという人の社会システム理論に若い頃、触れることが多かったためか、またそれ以外の個人史的要因もあってか、さまざまな関係性が輻輳するところに、一つひとつの現象があるという姿勢は、かなり強く持っています。だからこそ、こういった二者択一的な姿勢には、すごく違和感を持つわけです。

そういうなかで、ブローデルに偶然にも触れえたこと、これは私にとって、ものすごく大きな出会いでした。社会現象を考える際にも、人間が直接かかわる側面だけでなく、自然的な側面などにも留意して、一つひとつの関係性から事象を明らかにしていこうとする姿勢は、すごく私にとって重要なポイントです。

これまた思いもよらず、歳末になってブルデューの『ディスタンクシオン』を入手したりなんかしたのも、当初はブローデルとの関係性まで考えていたわけではないけれども、ブローデルとブルデューが親しかったということを考慮に入れてみると、偶然の引き合わせとしてはできすぎています(笑)

さて、こういった「今までにない状況」に人が置かれると、当然ながら不安が先に立ちます。もちろん、私もそうです。不安というのは、先のことがわからないときに起こるものです。そういうときには、ほぼ確実に極論や原理主義的発言、そうでなければ根拠薄弱な「取り繕い」が世の中にあふれかえります。もちろん、そうではない発言や行動もあるのですが、そういった発言や行動は、往々にして覆い隠されてしまいます。

けれども、ブローデルを読み始めたことで、地味ではあっても、一つひとつの事象を成り立たせているさまざまな関係性に目を向けるという姿勢を失わずに済んだような気がします。これ、思った以上に、私にとっては大きな意義がありました。

慌てずに、じっくりと詠み続けていきたいです。

関係性から出発して、将来の社会のありようを構想する。

文化の読書会ともリンクすることですが、デザイン文化の研究会(マンズィーニ読書会)も、同時に学びの多い会ですよね。11月3日に、Xデザイン学校公開講座でイベントができたのは、今年の下半期のなかでも少し達成感のあるできごとでした。

ちなみに、9月6日のXデザインフォーラムも、私にとって、すごく今年の重要なイベントでした。それについては、別noteで書きます。

マンズィーニの『日々の政治』の翻訳が公刊されたのは、今年の本たちのなかでも嬉しいことの一つでした。

この会では、もう一冊の”Design, When Everybody Designs”を読んでいるわけですが、これも得るところが多い一冊です。歳末に上梓された上平崇仁先生の『コ・デザイン』と重なり合うところがあって、やはり昨今の社会的な問題背景に合致しているのだろうと思います。

私が専門にしているのは、経営学です。そのなかでも抽象度の高い、経営学史や経営学原理という領域です。そういった領域で、デザインという概念が出てくることはきわめて稀です。

ただ、ドイツ語圏の経営学ではgestalten / Gestaltung(形成する / デザインする)という言葉がけっこうよく出てくるので、違和感はありません。

けれども、企業も社会経済、もっと言うと人間社会を構成するアクターの一つであるとみるなら、こういった考え方はかなりcriticalに重要ではないかと思うわけです。うまく伝えられたかどうかはわかりませんが、11月3日はそういう趣旨で話をさせてもらいました。

「地に足のついた規範論」を展開していくうえで、こちらの研究会も、私にとってはすごく大きな意義をもっています。こちらも、息長く続けていけたらなと思っています。

予測するより、構想する。そのために、考える。

世の中には、「これからどうなるのか」という予測的な言説がたくさんあふれかえっています。まぁ、それはそれでいいと思います。参考になるものもありますしね。

ただ、そういう予測的言説を耳に入れつつも、「どうしていきたいのか」を大事にしたいなと思います。資本主義批判というような大きな標語から出発するのもいいのですが、マンズィーニがやろうとしているように、「身の周り」と「グローバル」とのつながりを意識した議論でありたいとは思っています。そういえば、ブローデルのアプローチもそれに近いですよね。

2020年、ちょっと後半、私自身の感覚として「息切れ」気味でもありましたので、来年はもう少しペースを保ちながら、思索を続けたいと思います。特に、今年は文字にする機会を十分につくれませんでしたので、来年はアウトプットにも重点を置きたいなと。

ということで、今年もありがとうございました。2021年がよい一年となりますように。そして、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!





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