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「続くことを記述する」をめぐる雑考:価値が巡りつづける/価値を巡らせていく現象としての“経営”を説明するとしたら。

何か、別にこじゃれたことを書こうと思っているわけではありません。

このGWのあいだ、あまりがっつりと研究らしいことをしませんでした。ただ、ちょいちょい空いた時間に、あまり集中力もなくインゴルド(Ingold, T.)の訳書をいくつか眺めていました。

タイトル写真に使った『生きていること』(原著題“BEING ALIVE : Essays on Movement, Knowledge and Description, 2011”, 柴田崇ほか訳、2021年、左右社)は、翻訳される前から評判は耳にしていて、原著で読めばよかったんでしょうけれども、結局、翻訳が出るまで読んでませんでした。これ以外の『ラインズ』や『メイキング』などもおもしろいです。『ラインズ』には書の話や能の笛の話も出てきます。私自身、書は下手ですが、けっこう見るのは好きで、王羲之は別格としても、虞世南のような端正なのも好きですし、顔真卿のような堂々とした書体にも魅かれます。さらに、米芾べいふつの流麗で力強い風合いも好きだったりします。能に関しては、毎月解説を書かせてもらったりもしてますし、時折、舞台評を書かせてもらったりもしてます。ただ、稽古をしているわけではありません。ちなみに、『ラインズ』では杉市和さんの話が出てきます。素人のお弟子さんに教える際の唱歌の記述の話です。

こういうところからも想像がつくかと思うのですが、インゴルドの著述は「変化しつつある」現在進行形的な状態の記述に力点を置いています*。

* ちなみに、『生きていること』の巻末にある野中哲士さんの解説もまた惹かれるところがあります。563-565頁のあたりは考えさせられます。

この休みの間、ぼーっとインゴルドを眺め読みしつつ、「価値が巡りつづける/価値を巡らせていく現象としての“経営”を説明するとしたら」ということをぼんやりと考えていました。

ここで、私がすぐに想起してしまうのは、やはりニックリッシュ(Nicklisch, H.)なのですが、ここではむしろコジオール(Kosiol, E.)経由といったほうがいいかもしれません。

コジオールは、ニックリッシュの価値循環思考を下敷きにしつつ、具体的な会計 / 計算制度の理論的設計に関しては、師であるシュマーレンバッハ(Schmalenbach, E.)の動的計算(dynamische Rechnung)の考え方をもとに展開していった経営学者です。ただ、会計だけでなく組織設計や情報の流れなどについても考察するなど、広範な視野を持った学者でした。

そのコジオールという人は、pagatorische Rechnungとkalukratorische Rechnungという2つの計算を考えています。どちらも日本語になりにくいのですが、前者は収支的(損益)計算と称されています。後者には原価計算的(損益)計算と訳されることもあります。ものすごく雑に言えば、前者は名目財(貨幣)の運動を記述するものであり、後者は実質財の運動を記述するものです。前者は貨幣の出入りにかかわっています。一方、後者は、どのような製品やサービスなどが創出されたのか、その際にどれくらいの費消が発生したのかなどを計算するものです。このあたりの評価の差の問題は、ニックリッシュによっても意識されていました。ここに生じる評価の差が企業にとっての経済的成果となることに注目していたからです。

さて、企業活動において「記帳する(buchhalten)」というのは、まさに日々の活動を貨幣数値に置き直して記述していくことに他なりません。

しかも、企業はgoing concernとして認識されています。ここで、ふと頭をよぎったのが、全体損益計算と期間損益計算のことです。ものすごく古い話ですが。

全体損益計算とは、企業(ここではプロジェクトを想定するとわかりやすいと思います)の開始時点と終了時点が決まっていて、その全期間を念頭に損益計算をすることを言います。一方、期間損益計算とは、まさにgoing concernを前提にしたもので、全期間がいつまでになるのか定まっていないとき、一定の期間を区切って損益計算をおこなうものです。

このあたりの説明は、手元にあった谷端 長[1968]『動的会計論』〈増補版〉森山書店、第5章を参考にしています。

会社という組織が、複数の出資者や債権者によって提供された資本にもとづいて運営される以上、その出資者や債権者に対してaccount(=計算&それにもとづいて説明)することが必要になります。プロジェクトごとに解散するのであれば、まさに全体損益計算が求められるわけですが、going concernの場合には、一定期間で区切ったaccountが要求されることになります。

現代では、それが当然の前提になっているわけですが、理屈だけでいえば、あくまでもそれはaccountのためであって、期間損益計算は一つの「節」を設けていると解することもできます。

中川政七商店の中川淳さんが、以下の著書で第1章に「会社を診断する」という章を設けておられるのは、その点でひじょうに示唆に富んでいます。

コジオールに限られませんが、ニックリッシュにしても、シュマーレンバッハにしても、企業の動態をいかにして記述するのかという点に重きを置いていたことは確かです。

会計 / 計算は、企業の活動を数値的にあらわしたものです。その背後には、その企業がどのような状態を生み出したくて、その活動をなしたのかといったことが存在します。そのあたりの定性的な記述(記述者の主観的解釈を含む)をするのが、日報という捉え方もできるかもしれません。それ以外にも、さまざまなSNS発信なども当然ながら含まれてくるでしょう。

構想や経営計画の類は、将来においてどんな状態でありたいのか、それを実現するためにどんな道筋がありうるのか、望ましいのかを投企(entwerfen=project)したものと位置づけられます。もちろん、そのとおりになるかどうかは、実際に動いてみなければわからないとも言えます。

何か取り留めなくなってしまいました。
要は、こういったこれまでも経営活動において用いられ、採り上げられてきた概念枠組などをインゴルド的な発想のうえに置き直すと、どう映じるのかについて、ふと考えてみたくなったというのが、このnoteの出発点でした。

とりあえず、書き散らしたので、また思索が進んだら、あらためて書いてみたいと思います。


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