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能とサービスドミナント・ロジック:タイトルはちょっと胡散臭いけど、けっこうまじめに。

私、能を観るのが好きであることは、ここ(note)でもちょいちょい書いてきたことです。実際に、ほんとに好きです。

それが昂じて、さらにご推輓も賜って、2016年からは国立能楽堂の毎月(完全に毎月ではなく、執筆担当じゃない月もあります)のパンフレットにも解説を書かせてもらったり、能のタブロイド紙『能楽タイムズ』にも時々舞台評を書かせてもらったりもしています。

なんで能なんか好きなのか。「なんか」なんていったら怒られますが、でも大方のみなさんからしたら「なぜ、能?」って反応があったとしても、そう驚くことではないと思います。

もちろん、日本の古典が好き、とりわけ和歌などが好きだってのもありますし、最初に能に魅かれたのも装束だったような気がします(小学校4年生前後)。それがなぜかって訊かれても、ちょっと思い出せません。別に、そういうのにあふれた環境で育ったわけでもないんですけどね(笑)

ともあれ、最初は外見的なところから、そこから徐々に能そのものにはまっていきました。

で、能のどこが好きなのか。ちょっと考えてみたとき、もちろん他の演劇が好きじゃないとかそういう話ではないので、もしかしたら他の演劇も、今から書くことが当てはまる可能性はあります。能だけを高く評価して、他をそうしないということではありませんので、その点ご留意ください。

能って、ある意味で「そぎ落とされた」表現を主とする演劇芸能です。能の生成期はそうだったかどうかわかりません。かつては、ほんとに鎧を着てたみたいな話もちらっと見たことがあるような。時代の流れのなかで、またそもそも室町時代においては、そんなに凝った演出がそもそもできなかったということもあるのかもしれません。いずれにしても、基本的には「そぎ落とす」というベクトルのなかで、現在に至っているということは、そう間違ってはいないように思います。そして、その際にも、ただ「そぎ落とす」のではなく、焦点を当てるべきところに一点豪華主義的なかたちで表現するという点にも留意しておく必要があります。

さて、そんな能は、決して“親切”な演劇芸能ではありません。

急ぎ付け加えておきますが、だからこそ能役者のみなさんは“親切”な方が多いです。能それ自体が説明的ではないから、その魅力を知ってほしいと考えてらっしゃる方が少なくないということなのかも(このあたりは、『能楽タイムズ』2025年2月号の能楽対談をぜひお読みください)。実際、能のよさを知ってもらいたいと感じて、それを伝えようとしておられる能役者さんが、けっこうたくさんいらっしゃるわけです。

だからこそ、能って観る側に委ねている演劇芸能だともいえるわけです(もちろんですが、何でもかんでも好き勝手に解釈できるわけではありません。このあたりは後述します)。

ここで、あえて経営学(より厳密にはマーケティング)発の考え方であるサービスドミナント・ロジック(SDL)というのを出してみたいと思います。これは、2004年ごろだったか、マーケティング研究者のヴァーゴとラッシュによって提唱されたものです。

マーケティングというと、もしかすると「売るための方法」みたいに捉えてらっしゃる方も少なくないかもしれません。ほんらいは、つくり手とつかい手がやり取りする場としてのマーケットをかたちづくっていくはたらきのことで、単なる「売るための方法、技法」にとどまるものではありません。詳細を知りたい方は、アメリカマーケティング協会(AMA)のマーケティングンの定義をぜひ探してみてください(AMAとマーケティング、定義という3ワードで検索したら出てきます)。

しかも、このサービスドミナント・ロジック(SDL)というのは、「つくった何かを売る」という以上に、つくり手(提案者)が何らかのモノやコトなどのかたちであらわれる“価値提案”を創出・提供し、それをうけとった側としてのつかい手(享受者)が“享受”することによって、つまり双方が出会うことによってはじめて“価値”が生じるところに焦点を当てる考え方です。

なので、SDLはつくり手のみならず、つかい手側の準備(これをオペラント資源と呼んでいます)にも目を向けているのです。

能の場合、それはもちろん知識という側面もありますが、別にすごく大量の知識がなければならないということはありません(ただ、もし初めてご覧になられるのであれば、その演目のあらすじは知っておいたほうが絶対にいいですし、どういう展開なのかくらいまで知っておくと、より入り込みやすくなると思います)。

そして、素晴らしい役者の素晴らしい舞台に接すると、理屈を超えた圧倒的な感銘があります。その状態こそ、能を観て生じる(得られる、と言ってもよい)“価値”といっていいでしょう。もちろん、その感銘としての“価値”の内容は人によって異なってていいのです。それを可能にしているのが、能という演劇芸能なので。

そういう能を好きなので、私はサービスドミナント・ロジックを“いい”と思ったのではないか、最近になってそう考えるようになりました。

少なくとも、サービスドミナント・ロジックを研究していて能を好きになったのではありません。能のほうが先です(笑)

つかい手もしくは受け手に自由が担保されている ——繰り返しますが、自由があるからと言って、何でもかんでもありってのではないです。つくり手の提案を起点にして拡がる、というのがより正確ですし、さらに若干の規範的/理想的な意味合いを含めるならば、つくり手はつかい手の“自由”を可能にするともいえるかもしれません—— 状態、ここを重視している考え方や実践に、私は魅かれるのであろうと。

まぁ、そんなややこしいこと言わずに、ただ観て楽しめばいいんです(笑)今度『能楽タイムズ』2025年2月号に掲載される対談で、ふと如上のようなことが浮かんできたので、忘れないようにということで書き留めた次第です。

乱文ご容赦ください。

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