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問い!問い!問い!
けっこう、これはいつも言うてることやけど、今朝になってこんな記事を目にしました。
国語の成績が伸び悩んでる中学生の親御さんからのお訊ねに対する回答として書かれたものですが、これは年齢に関係のないこととして読めます。
勤め先の大学(近畿大学経営学部)は、ゼミ(演習I・II)が必修で卒業論文を執筆し、提出しないと卒業できません(2009年度入学生から)。この制度に対しては、学部内でもいろんなご意見がありますが、私自身は基本的に賛成です(ただし、こちらの執筆する学生の労力&将来的な価値、教員側の指導の負担を考えると、4単位ではなく卒業論文を4単位として併せて演習IIを8単位にしてほしいという願望はあります)。なぜなら、卒論は〈問いの設定&構造化〉と〈問いに対する見解導出〉という社会人にとって必須の基礎能力を濃密に必要とするからです。
そして、こういった能力あるいは考えるための〈構え〉は、論文に限らず、たとえばプロジェクトをベースにした学び(Project-Based Learning)や問題解決をベースにした学び(Problem-Based Learning)でも欠かせません。単に「やってみた!」だけでは、一回きりの体験に終わってしまって、それを経験した個人の思考的体幹としては根づかないと思います。
本来、こういった学びはおもしろいのですが、小学校や中学校、高校での学びは、基本が〈知識記憶〉となってしまっているので、大学に入っていきなりやろうとしても、なかなかそれをほぐすのに時間がかかります。それ以上に、知識記憶だけでやってると、おもしろくない(笑)だから、学びを忌避するようになるわけです。
正直、私は以下のリンクの「新しい」試みをみても、「あー、なんかいまだに知識記憶をベースに考えてるのかなぁ」とか感じてしまいました。
それはさておくとして、「問うことはおもしろい」って感じている人は、結果として自然と知識も入ってきます。
そういう学びのしくみ(カリキュラム)にしたいし、本来はそうすべきなんだろうなって、ずっと思ってます。カリキュラムをうんぬんすると、いろいろめんどくさいので、最近はもう口にしなくなってしまいましたが(笑)