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亡くなる前に一度だけ連絡をくれたR君のこと

9年前のちょうど今頃、友達のR君が亡くなった。

読みやすいように仮名をつけようかとも思ったが、違う名前で呼びたくないのでR君とする。


R君は大学の同期だった。
少しウェーブがかった毛量の多い髪を茶色に染め、眼鏡をかけ、かなり痩せ型で背が高い。ちょっと斜に構えたようなところがあるけど、繊細で頭の良い人だった。

入学してすぐ何かのきっかけで仲良くなり、夜中まで一緒に騒いだ日もあれば、部屋に遊びに行って一緒に映画を観たり好きな漫画の話をした日もあった。

R君は「おやすみプンプン」が大好きだった。
当時かなり熱心に勧められたけど、実はいまだに読んではいない。いつも、私の知らないことをしっかり考えたうえで飾らずに教えてくれた。


R君はよく「あ〜、かえりたい」と言った。
初めてそれを聞いた時、私は笑って「どこに?」と言った。既に自宅にいたからだ。


「土に」


R君の鉄板ネタだ。
それ以来、R君が「かえりたい」と言えば私が「土に?」と聞き返す。R君はいつも「うん」と答えた。

お決まりとなったそのやりとりが好きだった。
気に入りすぎて、何なら私も時々「土に還りたい」ネタを繰り出した。


R君が数年後、本当に土に還ってしまうだなんてあの頃は知る由もなく、私たちは無邪気に笑っていた。




R君と仲が良かったのは大学1年の時がピークだった。
その後も見かければ挨拶し言葉を交わしたけど、同じ授業をとることは少なくお互い別の友達といることが増えていった。

そしてあっという間に大学を卒業した。
突然真夜中にR君から連絡が来たのは、それから3年が経った頃だ。


「久しぶり。最近何してるの?」


正直、一瞬連絡を返すかどうか迷った。
その頃の私は実家に引きこもり、ドロドロに心が腐っていたからだ。

私の大学の同期は本当に優秀な人達ばかりで、みんな名だたる企業に就職していった。もちろんR君もだ。

対して、私は就職活動が行きづまってどうしようもなくなった末に、内定がないまま大学を卒業した。とりあえず上京して運良くアットホームな会社に入ることができたけれど、3年弱で心身をボロボロにし、ほんの数ヶ月前に両親に実家へ連れ戻されていたのだ。

地べたでうずくまるように毎日を過ごし、怒りと悲しみしか感じられなくなっていた。


R君は私の今の状況を誰かから聞いたんだろうか。
心配するふりをして何か聞き出し、誰かと噂話するんだろうか。
落ちぶれた私を憐れみ、見下すんだろうか。
R君はそんな人ではないのに、嫌な考えばかり頭をよぎる。



「毎日実家で猫と遊んでるよ。R君は?」

やんわりと返した。
自分の話をしたくないという気持ちも強かったが、本当はそれ以上に私は人の話を聞くのが嫌だった。

転職した。結婚した。海外転勤になった。
上手くいってる人のことなんか一つも知りたくなかった。でも聞かれた以上、R君の近況も聞き返した。


「今は病院で看護師さん達とイチャつく仕事をしてるよ」


へぇ。医療系の仕事をしてるんだ。
そんな仕事ではなかった気がするけど、異動か転職でもしたのかな。

経緯も詳細も聞きたくない。
どす黒い感情が湧く。毎日楽しいんだろうな。


「そうなんだ、楽しそうだね!」


明るく、だけど冷たく、無感情に返した。
きっと返信が来て、どんな仕事をしてるか教えてくれるんだろうと思った。

だけど、すぐに既読がついたっきりR君から返信がくることはなかった。


人づてにR君が闘病の末に亡くなったと知ったのは、それから約1ヶ月後のことだった。




R君が何の病気だったのかは分からない。
ただ、自分が取り返しのつかないことをしたというのは分かった。

R君は仕事で病院にいたのではなく、病気だったのだ。昔のように、ちゃんと興味を持って「どんな仕事?」とでも返していたら、悔いが残らないような会話ができたのかもしれない。

私は自分のことしか考えていなかったし、どうしようもなく未熟な人間だった。

本来、人はいつ何時であっても、相手が誰であっても「これが最後かもしれない」と思って接しないといけない。最後になったとしても後悔しないような言動を常に心がけるべきなのだ。

本当は大事に想っているのに、一時の感情をむき出しにして傷つけ合うのは、無知か甘えか傲慢なのだろう。

それが人間だ、と言われれば確かにそうではある。でも、いざこういうことが起きてしまった時「明日仲直りすればいい」だとか、「次は気をつけよう」では遅すぎるのだと、私は身をもって知った。

当時私は明日も地獄のような1日がくるのだと思っていたけれど、そもそも明日が来るかなんて分からないのだから。


また会おうねと言った友達に、また会えるとは限らない。いってらっしゃいと送り出した家族が帰ってくるとは限らない。既読のついた相手が、返信をくれるとは限らない。

「最後」というものはそよ風のように、気づいた時には音もなく去っている。手を伸ばしても掴むことは叶わず、「たら」「れば」など許してくれないし、ごめんの3文字すら届けてはくれない。


とうに消灯時間が過ぎた病室で、R君はどうしてあの日私に連絡しようと思ったのだろう。生きていたかったR君は、消えたかった私にどんな面持ちで文字を打ったのだろう。無神経にも「楽しそう」と言われ、R君はどんな気持ちになったのだろう。

地獄だと私が思っていた明日を、R君ならどのように過ごしたのだろう。



一生答えを知ることはない。
分かるのは、私はあれから少しだけ人に優しくできるようになったということと、私もいずれ、この先の道のどこかで土に還るということだけだ。




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やまり
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