見出し画像

35歳の壁

今年、35歳になった。
すると思いがけず、目の前に突如として「35歳の壁」が現れた。

29歳から30歳になった時とはまた違う、焦りのような恐怖にも似た感情だ。

ここ4年はアラサー事務所に所属していたのに、35歳を過ぎると自分の意思とは関係なくアラフォー事務所に移籍となる。気持ちとしては中途入社に似ている。「アラフォー」の大人びた響き。それに見合った働きや価値の提供を自分は出来ているのだろうか。

年齢を重ねただけで精神が育つわけではないと、35年も生きればとうに理解している。過去は変えられないし、未来の心配をしても仕方ない。

だけど、あと数歩進めば40代の扉が開くという現実をいざ目の当たりにすると、自分の過去と想像しうる未来を脳みそフル回転でスキャンして、エラーチェックをかけたい衝動に駆られてしまう。

新卒で社会人になってから、干支は一回りした。
12年。社会に出てから今までの中間成績が掲示板に貼り出されているように感じる時がある。

私はどれだけ赤点をとったのか、進級はできるのか。
今後自分は大丈夫なのか、やってきたことは正しかったのか…

でも何が正しいかなんて分からないから、つい周りの人たちと比較する。

一流企業で働き海外赴任している人。
大学に入り直して学んでいる人。
子供を4人産み育てている人。
アーティストになった人。
都会で家庭を持った人。
最近地元に戻った人。
会社を作った人。

みんなキラキラして見えるけれど、きっとそれぞれ全員悩みや焦りを抱えている。自分だけが劣っているように思えるけれど、誰かからすると私の生き方もまた羨ましく見えるのだろう。自分が幸せかどうかは自分にしか分からないのだから、比較しても答えは出ない。


どうして他の人ばかりキラキラして見えるのか。
自分がどういう人を羨ましく思いがちなのか考えた。

私は初対面の人と話すのが本当に苦手で、内定をもらえないまま大学を卒業した。人間関係を築くのも下手で何度も転職をしてしまった。だから新卒で大企業に入った人や一つの会社に長く勤めている人、何かを極めている人がとにかく輝いて見える。


いつか自分にも輝ける番が来る。
やるべきことや使命を見つけられる時が来る。
いつか必ず。

そう思って目の前のことに一つ一つ向き合ってきたつもりだったけれど、これだ!というものをずっと私はつかみ取ることが出来ずに生きてきた。

そもそも1カ所に長くいるのが苦手で、2,3年で新しいことに興味を持ってしまうのだ。いわゆる「広く浅く」タイプ。器用貧乏。極められていないから突出した長所もないし、ごくまれに優秀賞はとっても最優秀賞をとることは決してない。何者にもなれない自分に嫌気がさして、とことん悩んだ時もあった。

でも、ある時ふいに「見方を変えてみたらどうだろう?」と思った。

他人と自分を一対一で比べるのではなくて、「人類(他人)という集まりの中にいる1人の自分」と捉えてみた。この世には80億人もの人間がいて、一人一人個性が違う。そんな中に、私みたいな人がいても大したことではないのではないか。大海に一滴墨汁を垂らしたところで海は青いままだ。

そう考えるようになってから、気持ちがとても楽になった。好きに生きて好きなことをしたって、世界も人生も転覆しないから大丈夫。肩の力を抜いて、これからも目の前のことに向き合っていこう。

35歳の壁が思いがけず現れて動揺してしまったけれど、壁は行き止まりとは違う。向こう側が見えない壁に直面するとまるで行き止まりのように感じてしまうけれど、その向こうにまだ道が続いている。

この先、また4年後あたりに壁が現れるかもしれない。でも、きっとこうして目線を変えれば乗り越えたり迂回したりして、新しい扉を開けていくことができる。

年の瀬に今年を振り返りながら、そう思うことにした。

いいなと思ったら応援しよう!

やまり
サポートはうちの可愛い猫と犬のおやつ代になります