25年前の年末ジャンボが間接的に当たっていた話
初めて年末ジャンボを買ったのは小学生の時だ。
今は10億円だけど、一等前後賞がちょうど3億円になった頃。
「年末ジャンボ3億円♪」という、当時は衝撃的だったフレーズが巷では大流行りしていた。私は聞いたこともないような額に浮き足立ち、完全に一等前後賞を当てるつもりでおこづかいをはたいて、年末ジャンボを3枚買った。
「欲を出すと当たるものも当たらなくなるよ。買ったことを忘れてるくらいの方が当たるんだから」
3億円3億円と騒ぐ私を見かねて母が言った。
「当たったら何するの?」と父が聞く。
「みかん1年分買う!そのままだと腐っちゃうから貯蔵庫も作る!」
冬に食べるみかんが大好きで、爪が真っ黄色の私は無邪気に答える。
みかんは冬にしか買ってもらえないけれど、たくさん買えばちょっとずつ1年中食べられると思ったのだ。
私は1等に当たると強く信じていた。
子供の頃は世の中にどれだけの人がいるか理解していなくて、宝くじとか懸賞の倍率も全くピンときていなかったからだ。雑誌「小学◯年生」の懸賞で「5名様におもちゃが当たります!」と書いていれば、「5人も!?絶対当たるじゃん」くらいに思っていた。
田舎だったから小学校の全校生徒と言っても大した人数ではなかったし、その中の同学年はさらに少ない。当選確率は当然高いと思っていた。全校集会以上の人数を一度に見る機会もほぼなく暮らしていた私には、日本に小学校が2万校もあるだなんて想像もつかないことだった。
そんなわけで、宝くじもきっと当たるに違いないという変な自信があったのだ。
いざ当たったらみかんをどうやって1年分も買うのか。貯蔵庫は一体どこに建てるのか。そんなことは微塵も考えてはいない。まさに夢を買い、夢に浮かれる毎日だった。
そして大きく膨らんだシャボン玉がやがて割れるように、つかの間の夢はあっさりと覚める。
本当に当たると思っていたから私は大層がっかりした。夢を見るのはあれだけ楽しかったのに、叶わないと分かると途端に悔しくなる。「夢を見れて楽しかった」など、子供にはなかなか思えないものだった。
あれから25年が経つ。
私は懲りもせず、今も何年かに一度年末ジャンボを買って夢を見る。
大人になってからは、救いを求め宝くじを買う時もあった。仕事が辛い時期。転職したい時期。今の仕事を辞めたら生活が不安だけど、投資をしたり勉強をする気力もない。「宝くじが当たれば自由になれる」と、光を目指す夜中の虫のようにフラフラと売り場に向かった日もある。
今年もまた年末ジャンボのCMが流れるようになって、初めて夢を買った時のこと、夢にすがっていた時のことをぼんやりと考えていた。
「みかん1年分とその貯蔵庫」
我ながら可愛い夢だなと思っていると、「あれ、みかんといえば?」とハッとした。
実は、夫の実家はみかん農家なのだ。
そして冬になると、夫婦2人じゃ到底食べきれない程のみかんが送られてくる。夫は「子供の頃にみかんは一生分食べた」と言い全然食べないから、私1人で1日最低3,4個は食べなければいけない日々が続く。
それでも食べきれないから会社で配るのだけど、持ちきれないから2週に渡って運ぶ。すると「先週何個かもらったからもういいよ」とちょっと嫌な顔をされることもある。あんなに山ほど欲しかったみかんなのに、本当に山ほど届くと色々苦労もあるのだった。
「今年はみかんを贅沢に使って、たくさんジュースを作ろう」
夫がキラキラした笑顔で言う。
食べるのは飽きたけれど、ジュースなら飲みたいらしい。
夫がいる限り、これからもみかんを毎年食べられる。
大変ではあるけどすごく幸せなことだ。もはや、夫を「みかん貯蔵庫」と呼んでもいいのではないだろうか。ジュースの作り方を嬉々として話す顔を見ながら思う。
なぁんだ。
あの時の年末ジャンボ、当たってたんだ。
しみじみした後、夫が急にしゃべる3億円に見えてきて笑いが漏れる。
25年前の少女だった私よ。
心の中であの頃の自分に話しかける。
夢はすぐに叶うとは限らない。
欲を出すと、叶うものも叶わなくなるよ。忘れてたくらいの夢の方が、気づけば叶っていたりするんだから。