「自分を救済する方法」を知ろう
人生、なんだかんだ、生きるって大変ですよね。
いや、いろんなスタンスがあっていいと思うんですよ。生き方論とか、人生に対する考え方とか。
だから、「大変だなんて思わずに、幸せで満たしていこう!」みたいなスタンスもそれはそれで尊重します。
ただ僕はどちらかというと、「生きるって、それだけで大変」って思っているタイプです。
世の中、いろんな大変なことあると思うのですけど、そういう大変なことにぶち当たったときに自分を救済できるような方法を持っていられるといいと思います。
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僕が個人的に「生きるって大変だ」って感じるときっていうのは、
・自分の考えを人に理解してもらおうとするとき
・自分が持っているヴィジョンを人に受け入れてもらおうとするとき
・満員電車に乗らざるを得ないとき
・朝はやく起きて仕事に行くとき
・知らず知らずのうちに人を傷つけてしまったと気づいたとき
・毎月の生活費を稼ぐこと
・あきらかに自分を攻撃しているような言論を目に or 耳にしたとき
・新宿駅で当たりの強いサラリーマンに無理やり追い抜かれたとき
・自分の歌や芝居や踊りが思うようにいかないとき
・自分の未来にどうしようもなく自信が持てなくなったとき
・街中で親のイライラをぶつけられている幼児をみかけたとき
とかなんですけど。
こういうことに出くわすとどうしようもなく「うわーっ!!!」って気持ちになったり、元気が無くなったりするわけですが。
そういうときに僕は、自分で自分を救済する方法を知っています。
というか、さいきんその救済が上達しました。
「人生、大変や」って感じたときの憤りや怒り、フラストレーションや無力感を、僕は、note の記事としてどうやってアウトプットしようかと考えます。
ちゃんと人に届けられるような文章にしようとすると、自分の中にあるマイナスな感情やマイナスな要素をしっかり見つめて、その色や形を理解するところから始めなくちゃいけません。
そういう「自分の中のマイナスなものを冷静に見つめる」という過程を経て、それを何らかの文章に落とし込めると、「マイナスなものから(ひとつの表現という)プラスのものが生み出せた」という体験ができます。
この「マイナスからプラスが生まれる体験」をすると、自分の中のモヤモヤとかもいつの間にかスッキリしてたりするんですよね。
嫌だなと思った経験が、自分の糧になったと実感できる。
いちどそういう経験ができると、次に何か「嫌な出来事」に出会ったときも、「ここからなにかを生み出せるかもしれない」っていう気持ちを持てたり。
僕にとって曲を作るっていう行為もこれに近くて。
どうしようもない焦りとか、漠然とした自信のなさとかを、内側に抱えて悶々としちゃうんじゃなくて、詞のかたちを借りてその思いをアウトプットしちゃって、自分が大好きな「歌」っていうフォーマットに置き換えちゃう。
それがうまくいくと、自分の中のモヤモヤも救済されるというか、ある意味「供養」できたような気分になるんですよね。
そうやってできた曲が3〜4曲あって、いまでもライブで歌ったりしますが、それ以外にも「ワンフレーズだけできた」とか、「1番だけできた」みたいな曲も無数にあります。
曲を完成させるっていうことよりも、自分の中のモヤモヤを曲として外に出してみるってことが僕にとっては重要で、そのなかでたまに1曲として頭からお尻まで整ったものができあがったらラッキーだな、って考えています。
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絵を描く、詞を書く、戯曲を書く、小説を書く。そういう創作行為は、人生で感じた「大変だわ・・・」っていうネガティブなことを、別の価値に生成させるのに非常に便利な手法だと思います。
けれどそれ以外にも、アウトドアなアクティビティで発散するとか、本を読むことでスッキリするとか、映画見るとか芝居見るとか、美味しい料理食べるとか、いつもより高いチョコレート買うとか、服を変えるとか。
人によってさまざまな「自分を救済する方法」があると思います。
自分にとって効果的な「救済方法」を知っているか否かで、生きることの楽差がずいぶんと違ってくるんじゃないかなあ。
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僕は、演劇や音楽や文章に出会えてよかったと思います。
そういうもののことが好きだからっていう意味もあるけれど、そういう表現が僕の人生に組み込まれたことによって、自分を救済する術を得られたからっていうところも大きいです。
読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。