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手に入らぬものを探し求めて。
こんにちは!山野靖博です!
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俳優という生き物は元来、ロマンチストだ。
仕事の現場での振る舞いや、仕事を受ける時の条件について現実的な俳優もそりゃあいるだろうが、そもそも芝居という営みに人生の時間の大部分を費やす選択をした時点で多分にロマンチストである。
ロマン主義とはどういうことか、というと、僕は「失われたもの、手に入らないものを求めようとする心」だと理解している。
世界が19世紀に突入するその頃に、ラテン語で書き留められた厳格で理性的な古典を否定し、"失われたロマン語"で書かれた感情的な作品への憧れを増幅させていくという精神性。
それが善であれ愛であれ、「手に入らない」ものを求め、「失われた」からこそ情熱を燃やして追い求め、そのためには自らの命を懸けることも厭わない。そういう精神性のことをロマン主義だと、僕は理解している。
そういう意味において、やはり俳優はロマンチストだと思う。
芝居の上達は、手に入らない。
いや、「手に掴めない」と言った方が正しいかもしれないが、いずれにせよ農業や工業のように仕事の成果がモノとして手に取れるわけではない。芝居というのはそれ自体に実体がない。
実体がないものに取り組み続けること自体がすでにロマン主義的だ。つまり、非合理的だ。
芝居は手に掴めない、ということを、さいきん特に実感する。その「掴めなさ」はおそらく、全ての俳優に実感されていることだと思う。稀代の名優と呼ばれるあの人もこの人も、きっとこの「掴めなさ」に日々向き合いながらあれやこれやと奮闘しているのだと思う。
ところで、たとえば光は手に掴めないし、風も手には掴めない。世の中には自分の手で掴めないものがたくさんある。
けれど、光が手に掴めなくても、風が手に掴めなくても、多くの人はがっかりしない。そもそも掴めるはずがない、と考えているからだ。
ところが俳優は違う。光が掴めないといって歯噛み、風が掴めないといって悔しがる。影法師を掴めないといって泣き、星を掴めないといって眠れぬ夜を過ごす。そして、自分の芝居の上達が掴めないといって、自分の価値を底の底まで疑ったりする。
そうやって日々を暮らす。
ひとつ何かができるようになると、「できないこと」や「できてないこと」が何十倍にもなって雨あられとこの身に降り注ぐ。ひとつ何かができるようになると、次の「やりたいこと」が次から次へと立ち現れる。
その度に「できない自分」に向き合わざるを得ない。そして、掴んだはずの「できた」の質感を確かめようと自分の掌を開いてみても、当然そこにはなにもない。
「できた」は「できた瞬間」に失われたのだ。上達の実感はそれを感じた瞬間に遥か彼方へ飛び去っていく。あるいは、そもそもその実感こそ初めから存在していなかったのかもしれないとすら思う。
しかし、ロマンチストというのは厄介な堅物である。失われた上達の残り香だけを抱きしめて、それならばとさらなる上達、つまり永遠に手に入らぬ恋人に向けて再び歩き始めるわけだ。
芝居が手に入らないからこそ、むしろ情熱は燃え上がる。
手に入れた刹那逃げていってしまった風を追って、空の上でも海の中でも、それこそ地獄の釜の淵までも駆け抜けていこうとしてしまう、それが俳優だ。
幸運にも僕は、そんな風な酔狂な先輩に幾人も出会った。彼らはなんだか、ずっとくよくよしている。あそこができなかった、ここが上手くいかなかったと、いつもウンウン唸っている。
こっちからすれば羨ましいくらいに素敵な芝居をしああとでも、楽屋や舞台袖で「あー」とか「うー」とか言っているのである。
それでいて、カラッとしている。じめじめしていない。暗くない。むしろ朗らかである。今日は不味かったとぶつくさ言っているその姿も、もはや芝居のワンシーンのようである。ありがたさすら漂う。
ロマンチストな俳優たちは、手に入らないものを追い求めているのが、どうやら楽しいらしい。1日の終わりに大好物の酒を舐めるときのような、この冬のために買ったとっておきのコートを初めて身に纏うような、そんなときに人々がする表情をいつも顔の上に貼り付けて芝居の現場にいるのが俳優だ。
当然、悩むことは悩む。苦しいことも苦しい。しかし、だからといって辞めはしない。苦しかろうが切なかろうが、今日も今日とても芝居をするのである。
そんな俳優に、僕もはやくなりたいものだと、ニタニタしながら苦しむのである。
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