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果物の皮を剥く話。


こんにちは!山野靖博です!

梨とピューター皿


よくよく計算してみると実は、果物の皮を剥いてせっせと食べているような人は、日本の全人口のうちのとても小さなパーセンテージなのではないか。

これは皮を剥く習慣を持つ人も持たない人も一様に抱く感想であると思うが、第一に果物の皮を剥くのは面倒だ。包丁を巧みに使うのか、あるいは手軽にピーラーで剥くのかはあるにしろ、どちらにしても手間がかかる。

林檎や梨はあるいは、皮を剥く専用の機械がある。ハンドルを回せばクルクルと皮が剥けてしまう。が、その機械を戸棚から出してくるのもよく考えれば面倒だし、皮の剥き終わった後にそれを洗って乾かしてまた戸棚にしまうのを考えてもさらに面倒だ。

そもそも、その機械を買おうと思い立って買うこともどこか面倒に思えてくるし、大家族で一度に何個も林檎を剥かなければならないというのならまだしも、林檎のひとつ、梨のひとつを剥くためにその奇怪な機械を自分の台所のどこかに置いておくというのもどうも面倒に思えてくる。

世の中を見渡せば、皮を剥かずに食べられる状態になった果物というのは案外ある。コンビニに行けば、林檎、梨、グレープフルーツ、パイナップルなんかがひと口大のサイズに切り分けられて売られている。1人分の果物を食べようと思えばだいたいに於いてそれで事足りる。


第二に、そもそも果物は高い。手軽に買える果物はバナナぐらいなものだ。ジリジリと物価が上がり、肉も野菜も高くなってきている昨今、以前だったらあった財布の余剰分の果物手当は確実に減少してきている。

秋がきた。さあ果物の美味しい季節だと思っても、イチジクを買うのに躊躇する。葡萄のひと房に思案する。梨どころか、林檎だって立派な値段だ。子どもの頃あんなに気軽に食べていた果物なのに。


子どもの頃に気軽に食べていたといえば桃だ。僕は山梨の生まれで、時期になれば桃は「頂き物」として箱単位で家にあった。

頂き物なので市場に流通する一級品ではない。それでも充分に美味しい。桃というのは一度に三つも四つも剥いてもらって、「こっちのは甘い」「これはそんなに甘くない」「これはまだ歯応えがある」とか言いながらやいのやいの食べる果物だった。

僕の友人で山梨に移住してきた者がいるが、桃が気軽に食べられることに驚愕していた。彼女曰く桃というのは風邪をひくなりなんなりのときの、特別の特別でようやく食べられる貴重な食べ物なのだそうだ。

それが山梨に暮らすと、近所の人が「これ持っていきな」と何気もなく、ビニール袋に入れて、もしくは裸のまま手渡してくる。その気軽さに驚いたと言っていた。


皮を剥くか剥かないかでいえば、僕は桃の皮を剥くことは少ない。齧り付いて食べることの方が多い。

桃の皮は案外そのまま食べても気にならないものだし、皮と果肉の間にいちばん甘い汁があるからだ。その汁は皮を剥いている間にどうしても滴り落ちてしまう。

葡萄にしても同じだ。皮と果肉の間がとびきり甘いのだから、指を使って器用に巨峰なんかの皮を剥いている人を見るとすこし焦ったくなる。ほらそこ、その指を伝ってテーブルに落ちている汁、それが美味しいのになんて勿体無いことを、と思ったりする。

葡萄の果肉をよくよく噛んでみるとよくわかる。あの肉は意外と甘くないのだ。むしろ酸味の方を感じることが多い。葡萄特有の香りについても同じだ。果肉だけならばそれほど香らない。皮と、皮のすぐ下の果汁、そこに香りの成分の重要な部分が含まれているのだ。

だから、葡萄の産地に生まれた人間は葡萄を皮のままポイと口に入れ、口の中で皮を剥くという技術を習得している。僕も例に漏れずだ。


「ひと皮剥けたねぇ」と人を称することがある。おおむねこれは、褒めている場合が多い。

ウブっぽかった新人が、なにか困難な場面に直面し、苦悩し傷つきながらそれを乗り越えると顔つきや佇まいが変わる。大変な経験が人間をひとつ大きくする。そんなときに、ひと皮剥けたな、と褒められる。

しかし、果物の皮を剥くと、その下には繊細で傷つきやすい果肉がある。果物の果皮というのは雨風からその果肉を守るためにあるわけだから、皮の方が硬くてガサガサしていてさまざまな刺激からも打撃からも強い。

それに比べてつるりと剥かれた果肉の方は柔らかくて、皮を剥いたら1週間でも持つような果物も皮を剥いたら2〜3日でダメになる。

「ひと皮剥けたねぇ」の賞賛と果物の実情にはここに矛盾がある。それに、皮を剥いてしまうといちばん美味しい果汁まで拭い取られてしまうような類いの果物だってある。あるいは、甘っちょろいところが適度に取り除かれて、酸味の勝つような味わいこそ一人前に近づいた大人の味ということなのだろうか。

酸いも甘いも知り尽くした、という言い方があるが、やはり甘いものを欲するだけではどこか片手落ちなのだろう。あるひとつの快さだけに邁進するのではなく、「おーすっぱい」とか「あーにがい」とかいう、想像するだけでも唾液が出てきて肌がゾワゾワするような刺激さえも楽しむことができる方が、食べることも生きることも豊かなのだろう。

しかしいずれにしろ、人格であれ果物であれ、皮を剥くことは元来面倒臭いことだという点では一致している。人から「ひと皮剥けたねぇ」と褒めてもらえるような変化は、普通に安穏と暮らしていたら得られないのだし、どこかで自分を奮い立たせてわざわざ苦難を体験しにいくような覚悟も必要な場合がある。

それはほとんど、食べやすいひと口フルーツがコンビニに売っていることを知りつつも、わざわざ八百屋の店先から立派な梨をひとつ買うことと同じだ。その梨を自分の手で剥く面倒を引き受けることを、そのときに決意しているわけだから。

とかいいながら怠惰な人間である僕なんかは、「明日食べよう」を繰り返して、いつのまに腐らせたりの醜態をときどきやらかすのだけれど。


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