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線のあちらとこちら、の話。
こんにちは!山野靖博です!
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「黄色い線の内側までお下がりください」
僕は山梨県甲府市という地方都市に育ち、通った学校も徒歩や自転車で通学する範囲だったので、電車に頻繁に乗る生活がはじまったのは大学入学のために東京へ出てきてからだ。
学校があったのは上野。住んでいた寮があったのは上石神井。つまり日頃、西武新宿線の朝の満員電車と、高田馬場でのJRへの地獄の乗り換えとに息を切らせつつ、音楽の勉強に勤しむ生活を送っていたのである。
ラッシュの時間にはホームも満杯になるから、人と人との隙間を見つけるのか、はたまた階段に居座って電車の到着を待つのか、いずれにせよ、安全に(つまり怪我もせず命も落とさずに)目的の電車に乗ることとはこんなに困難なことかと、東京生活の始めの頃はずいぶん驚いた記憶がある。
さて、線の内側、である。
どんなに混み合うホームでも、黄色い線の内側に居座るぞという強い意志が必要である。何故なら、その線の外側に出ている時に電車が滑り込んでこようものなら、非常に危ないからである。
車体との接触は無いまでも、注意を喚起するための電車の警笛の音はすさまじく大きく、あれを聞くだけで僕は自分の魂を構成する分子(というようなものがあったら、の話だが)の粒のいくつかが、その活動を止めて消滅してしまうような気がする。
ところでホームにおいて黄色い線を挟んで考えたとき、一般に僕らの立っている方が内側で、反対に線路の側は外側なのである。この認識は、少し面白い。
たとえば上りと下りのホームが向かい合っている構造の駅であると、なんとはなしに二対の線路の側が「内側」のような気がしてくる。黄色い線は二対の線路の片側1本ずつでに計2本引かれているのだ。2本の黄色い線に挟まれた部分が、どう考えたって「内側」だろうと、思う。
けれど違うのだ。アナウンスはあくまでも線路の側が「外」だという前提で、僕らが一般的に立つことになってるホームの側が「内側」なのだ。
そうすると、黄色い線の内側たる僕らの立っているこちら側は、そのままずーっと僕の後方に伸びており、地球をぐるりと一周して線路を挟んだ反対側として目の前に合流してくる。そう考えるのが良いのだろうか。
それとも、こちらの「内側」と、線路のあちら側の「内側」とでは、共有する領分を持たない、それぞれに独立した内部ということなのだろうか。
何故こんなことを考えるのかというと、このところ著名人の訃報に多く触れているからだ。一時代を築き、その後の世界や人々に大きく影響を与えた巨人たちが鬼籍に入っていく。
そういう報せを聞いたとき僕は、「あちら側」と「こちら側」のことを思う。
僕はまだ生きているから、生の側に立った視点で内側にいて、彼らは生と死を分つ線を乗り越えて外側へと旅立ったのだ、と思う。
けれど、視点をひっくり返して死の側からみれば、生きている我々の方が外側だ。いや、僕はまだ死んだことがないので、死者たちがそう思っているかどうかはわからないのだけれど。
ベルリンの壁のことを思う。北緯38度線のことを思う。あらゆる国境のことを思う。
そこに線が引かれると内側と外側ができる。Aの側にいる人々はそちらを内側だと思い、Bを外側と認識する。当然B側にとっては壁や線のこちら側であるBこそが内側で、Aは外側だ。
あるいは自分の身体のことを思う。僕にとって空気と触れている皮膚の下からが内側で、空気からあちら、つまり世界の方は外側だ。
もし目の前に親しい人や大切な人がいれば、その人と自分との間の空間は、内側と認識されるかもしれない。反対に、僕らの関係性に属さないものや人は外側の存在だ。
山梨の、四方を山に囲まれたあの盆地で育った僕にとって、あの山々が取り囲むすり鉢状の土地こそが内側であり、自分の属する場所であった。
その山を特急かいじで越えたあの日、僕は山の外側に飛び出して、以来東京という「外側」に暮らしている。しかしその外側たる東京も、そろそろ馴染みの土地になってきたような気もする。行きつけの店も増えた。親しい友人も増えた。お気に入りの場所も増えた。
そうなると東京は僕の「内側」になったということだろうか。そして山梨は、僕の「外側」になってしまったということだろうか。
いや。全然そんなことはない。東京は、そこに住んでいながらも僕にとってはまだまだ「外側」の土地で、その「外側」のなかにポツポツと、いくつかの「内側」を持てるようになってきたというのがちょうどいい表現かもしれない。
そして、地理的にはグッと離れている山梨は、しかし離れていても、どこか僕の「内側」として、あるいは「内側に接続する何か」として存在し続けているような気がする。
あるいは、線を跨いで、左足をあっち側に、右足をこちら側にして立ったらどうだろう。どちらが内側で、どちらが外側になるのだろう。
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