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いまはジョンソンとホガース
一次資料にあたるって、とっても得るものが多いのに、世の中的にはそれほど大切なことだと思われてないかんじがします。
大切なことだと思われてない、というのは語弊があるかもしれない。一次資料にあたることの大切さは否定しないが、自分がそれをする時間の余裕がない、みたいなことの方が多いのかもしれないですね。
大雑把に「一次資料にあたる」と書いちゃってるので、世の中のさまざまなことが当てはまっちゃってますが、僕はいま「役者の仕事において」というトピックを念頭においてます。
でもまあ、政治情勢のことや国際社会のこと、各種報道の解釈についてなんかも、一次資料にあたることは本当に大事です。それについては今回は置いておくけれど。
「天保十二年のシェイクスピア」という作品をやったときに、一次資料にあたることの大切さを痛感しました。
百戦錬磨の先輩方と共演ができたひじょうに貴重な体験だったんですが、江戸時代を舞台にした作品に初参加だった僕は、どうにも「農民感」とか「ヤクザ感」が出せなくて困ってたんですね。
それを見かねて諸先輩方が「山野、あそこはこうじゃねえか」とか「山野、これこれこういう映画を見たほうがいいぞ」とか、すごくたくさんアドバイスをくださったんです。
で、藁にもすがる気持ちの僕はそのアドバイスをさっそく実行して、先輩方が挙げてくださった映画を見てみるんですが、これがどうにもしっくりこない。
しっくりこないから、そのまんまでいくら稽古場で頑張ってみても、「山野、そうじゃないんだ、それは違うんだ、ぜんぜん感じがでないだろう」となる。
じゃあ、僕の「見方」が悪いのかなぁと思って、いろんな観点で見てみるんですがそれでもうまくいかない。どうにもならない。
そうやって、上手くいかないなぁどうしたらいいのかなぁと悩む日々が続いて、ある日ぽっと思いついたことがあったのでした。
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