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『天保十二年のシェイクスピア』を完走!

こんにちは!山野靖博です!

『天保』のみんな!

先日、出演していた舞台が無事に千穐楽を迎えました。

千穐楽、というのはいわゆる業界用語で、元は「千秋楽」と書くのが一般だそうです。

雅楽の楽曲にこの「千秋楽」という曲名のものがあって、法要の最後、僧侶が退出する際にこの千秋楽を演奏したところから「最後」という意味で千秋楽の言葉が使われるようになったという説があります。

お芝居の世界では、秋の字にある「火」を嫌って、千穐楽と書くようになったみたいですね。

ちなみに僕は昔、まだ劇場外での出待ちが許されていた頃に、お客様から千穐楽の日のサインを頼まれて、咄嗟のことに字が思い出せず間違えて「千秋落」と書いてしまったことがあります。いま思い出しても恥ずかしい。苦笑

あのサインをお持ちの方、レアですよ。笑


出演していたのは『天保十二年のシェイクスピア』という作品。井上ひさしさんの怪作、傑作戯曲の上演でした。

藤田俊太郎さんの演出による『天保』は、2020年の2月に初演の公演を行なっていたのですが、新型コロナの流行に伴うエンタメなどの公演自粛要請に従って、当時の東京千穐楽と大阪公演が中止となったのでした。

あれから4年と10ヶ月をかけ、プロデューサーの今村さんはじめ、多くの方のご尽力があって2024年の12月から2025年の1月にかけての藤田版『天保』再演が叶ったのでありました。


多くの学びがあった公演でした。それは、自分の役として舞台に立つことを通してもでしたし、共演者である大先輩たちの存在から受け取るものでもありましたし、また稽古場での数多のディスカッションから得たこともありました。

2020年の公演の際には稽古の時間が実はかなりカツカツで、初日の幕を開けるまでの期間が疾風のように過ぎていった感覚がありました。

しかし今回は、2020年にすでに試行錯誤した土台があったからか、各シーンを丁寧に稽古していく余裕が僕たち全員に与えられていました。これは、再演が叶ったからこそ得られた貴重な体験だったと思います。

そのなかで、あらためて取り組んでみると「あらら、これもわからない!」「あれって本当はどうなってたんだっけ!?」という疑問点にいくつも直面し、その度に稽古場の片隅で藤田さんに相談したり、アンサンブルチームのみんなと話し合ったりしました。

「ここって、どういう理解を共有するといいんでしたっけ?」と稽古の途中で藤田さんに質問すると、それを聞いた大先輩の阿部裕さんや木場勝己さんたちが「ヤス、そこはこうだよ」「こういう見方もあるよな」とその話し合いの中に入ってきてくださって、積み重ねてこられた経験と深い洞察から、非常に有益な示唆を下さることも多々ありました。


この公演では本当に先輩方に恵まれまして、いろいろな方から大切な言葉をいただきました。

中村梅雀さんからは「俳優として爪痕を残そうとしないで、人間として生きるのがいいよ」とおっしゃっていただいたり、玉置孝匡さんからは外からどれだけ突拍子もなく見える芝居もその場に真剣にその人物として存在していたら成立するんだというある種の極意を教えていただいたり。

蜷川組の新川將人さんと妹尾正文さんには、俳優としての生き様を大いに教わりましたし、どれだけ愉快に奔放に演劇を楽しめるかという大いなる命題を日々突きつけてもらいました。

梅沢昌代さんからは「いい低音だね、なかなかいないからねそういう声は」という嬉しいお言葉をいただいたし、木場勝己さんからは「ただ立って状況を見ている」という芝居をどう成立させるかの秘訣をこっそり教えてもらいました。

こういったすべての時間と言葉が尊く、また、言葉としては伝えられていない一挙手一投足からも多くのことを吸収しました。


2020年のあっけないお終いを経験してからこちら、「次に天保をやるとしたら自分はどう変化していられるか」が僕自身の大きな課題でありました。

幸運にもこうして再び『天保』の世界に足を踏み入れることができたいま、たしかに自分自身は5年弱をかけて変化をしてきたのだなという手応えを得ることができました。

同時に、変化を実感できたからこその「足りないところ」もたくさん見えてきました。「足りないところ」がたくさんあるというのは、俳優としての宝を抱えているのと同じだとも思いました。


今回とっても珍しいことなんですが、演出の藤田俊太郎さんと落ち着いて話をする時間もありました。僕は2016年の『JERSEY BOYS』というミュージカルから藤田さんの作品に何度か出演していますが、そんな機会は本当に初めてのことでした。

その中で、藤田さんが『JERSEY BOYS』を演出した年齢と今の僕の年齢が、ほとんど一緒だということに気づきました。なんとも感慨深い瞬間でした。

あらためてじっくりお話を聞いて、世界を認識する仕方がなんとなくお互いに似ているなという気づきもありました。これからももっと藤田さんと演劇の話をし続けていきたいなという気持ちが強まりました。


『天保十二年のシェイクスピア』という作品は、井上ひさしが侠客講談「天保水滸伝」を縦糸に、シェイクスピアの全作品を横糸として編み上げた鮮やかで艶やかな大風呂敷です。

さまざまな柄があり、さまざまな手触りがあり、さまざまな色彩があります。

そしてその大風呂敷の中には、シェイクスピア劇があり、不条理劇があり、ブレヒト叙事演劇があり、能があり、狂言があり、浄瑠璃があり、歌舞伎があり、新劇があり、コントがありと、古今東西ありとあらゆる演劇がごちゃごちゃに包まれています。

そこに藤田演出の元に集まったメンバーがさらに、蜷川演劇やアングラ演劇、井上ひさし演劇のエッセンス、大衆演劇の要素、そしてなによりミュージカルの魅力をこれでもかとブチ込み、混ぜ合わせたのが今回の『天保』でした。

こんな『天保十二年』は後にも先にもこのカンパニーでなければ出来上がらなかったでしょう。そして、そんな場に2回も参加できたことをとても嬉しくありがたく思います。


宮川彬良さんの音楽も凄まじかったです。歌謡曲の要素が聞こえてきたかと思えば、ファンク的なコード進行が聞こえる。都々逸の裏にはラテンのリズムが差し込まれ、プログレロックのグルーヴの次に西部劇的サウンドの世界が繰り広げられる。

これまた古今東西新旧問わず、ありとあらゆる音楽の要素が縦横無尽に編み込まれたスペクタクルな楽曲たちでした。この音楽の力があったからこそ、藤田版『天保』の世界観は何倍にも加速し、膨れ上がったと思っています。


どこまででも語れてしまう『天保』での経験と思い出。誰かぜひとも夜通し聞いてくれねえかな、と思うような気持ちもあります。熱燗でも片手にね。

もしも、もしも、再びこの作品が上演されて、運良く僕も参加できることになったらば次の野望は、劇場全体を揺るがすほどの「丁か半か」コールアンドレスポンスが客席の皆さんとできますように。なんてね。嘘です。笑


たくさんの応援をありがとうございました。
楽しかったなぁ『天保十二年のシェイクスピア』!


山野靖博



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