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無編集がいちばん大切なものになる未来。
こんにちは!山野靖博です!
AIが本格的に普及してきて、世のクリエイターたちは戦々恐々としていますが、舞台俳優は恐れることが少ないんじゃないかなとさいきんは思ってきました。
「いやいやそんなことないだろー」とか、「舞台俳優だけが安泰ならいいのか!?」とか、いろんな反論は自分の中でも出てきているので手放しに安心しているわけではないのですが、でもAIが発達すれば発達するほど、相対的に価値が上がる分野もあるのではないかなと感じます。
いろんな技術が進化することでそれまでその分野でプロフェッショナルとして活躍していた人の仕事が消えていくというのは、特に産業革命以降、世界各地で起こってきた現象です。
たとえば、無声映画の時代には映像に合わせて楽器を演奏したりする人や、映画館で客席に向かって映像の内容を解説した活弁という仕事もありましたが、トーキー映画の時代になっていくことでそういった人たちは仕事を失っていきました。
そのすべてが良いことだとは言えませんが、時代が変容していくのは世の常なので、新しい時代に合わせてどう対応していくかというのも、プロとしてのひとつの必要な考え方かもしれません。
(余談ですけど、名作ミュージカル映画の『雨に唄えば』はまさに、無声映画からトーキー映画の時代に映っていくときの、新しい技術に対応したスターと過去に取り残されたスターを描いていますよね!)
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AIの自動生成の進化はものすごくって、さいきんでは画像もかなり精巧に作れるようになってますし、それだけでなく動画だって作れるようになってきたみたいです。
モデルや俳優を使わずに、AIが自動生成した人物の画像で広告を作るなんてことも当たり前に行われ始めてますし(さいきんだとしまむらとか)、実写と見紛うほどの動画がSNSで流れてきて驚いたこともあります。
じっさいの生身の俳優の声をAIに深層学習させると任意の文章をその俳優の声で喋らせたりできるようになったりとか、モーションキャプチャーの技術を発展させることによって人の動きだけを抽出して、その動きのデータに別の人物の身体や顔を合成することも当たり前にできるようになっています。
当然それによって「恐ろしいな」と思うような事態も起きると思います。
仕事レベルで言えば、声優さんとかナレーターさんとかの声がAIによって学習されて、勝手にその声を使ってナレーションや声の演技が生成されちゃうかもしれない。
映画やドラマも、動きのデータだけを別口で採取して、有名な俳優さんたちの身体を合成することで製作されていくようになるかもしれない。
というかそもそも、俳優の身体や声の素材なんてまったく必要とせず、ゼロからAI生成によってドラマや映画やアニメが作れるようになるのもあっという間だと思います。
個人のプライバシーのレベルだと、たとえばネットに上げられている顔写真のデータが悪用されて、ポルノ画像を作られちゃうとか、行っていもいない場所に行ってたことにされてイメージを毀損されるとか、そういうことも簡単に起こり得ますよね。
そういえばこの間とあるテレビの刑事ドラマで、3つの事件でそれぞれ捕まえた3人の犯人の犯行現場が映された動画が、じつはAIによって別の人物の顔に移し替えられた加工動画だったという回がありました。
防犯カメラなどの動画が加工されてもパッと見ではわからないような精巧さが達成されてしまうと、動画自体の証拠能力が疑わしくなってきてマズいぞ、みたいなことが語られていました。
ある程度、新しいテクノロジーに合わせて法律での規制も必要になってくるとは思いますが、AIによる自動生成の技術を全部停止するっていうことはあまり現実的じゃないように思います。
そうすると、そんな時代の変化とどう向き合って、付き合っていくかということになるわけですが。
僕は舞台俳優なので、AIによる自動生成による直接的なインパクトは、意外と少ないんじゃないかなと思っています。
現在AIが自動生成できるのは
・画像
・動画
・音声
と、どれも「データ」に分類される分野です。電子信号として流通しているものですね。
ただ、舞台上の生身の人間を生成した、というのはまだ聞いたことがありません。
いや、もちろん、ロボット工学が進化して、本物の人間と区別のつかないロボットが登場して、それらが舞台俳優の活動の場を独占していくことも考えられないわけではありません。
また、僕たちの居住空間がVRのなかに移行して、そのバーチャル空間のなかでみんながエンタメを楽しむようになれば、とうぜん現実世界での舞台へのニーズはどんどん縮小していくでしょう。
けど、そう思いながらも、僕たち人間がバーチャルなデータをどこかで信用しきれなくなる日がくるんじゃないかなと、僕は考えています。
AIの自動生成技術が精巧になればなるほど、僕らがいまパソコンやスマートフォンの画面を通して見ている画像や動画の信憑性は低くなっていきます。
本当にそれはじっさいに起こったことなのか。本当にそれは自分が好きな俳優が実際に撮影した写真なのか。本当にそれはその政治家が演説で口にした言葉なのか。
データはいとも簡単に「編集」され、あるいは「ゼロから生成」される時代に突入したわけですから、その目の前のデータが「本当に未編集なのか」や「本当に生成されたものじゃないのか」という疑いを前提として持っていないと簡単に騙される世界になっちゃったということです。
けれど、劇場に足を運んで客席に座り、生の舞台で繰り広げられる演劇を観ることは、間違いなく「未編集」で「無加工」の「現実」です。
リアルの場で行われるパフォーミングアートはこれからの時代、「未編集」「無加工」「紛うことなき現実」という価値が相対的に上がっていきます。
ここでいうパフォーミングアートはもちろん演劇だけじゃないです。音楽のライブやコンサートもそうですし、サーカスとかもその範疇に入るでしょう。バレエやそのほかダンスの公演、マジックショー、スポーツ観戦なんかもそうかもしれません。
AIによって生成された画像や動画が世界に溢れていくということは、「偽物かもしれないもの」ばかりが身の回りに氾濫する世の中になるということです。
そのど真ん中に生活していたら必ず、「偽物じゃない保証のあるもの」を見たくなる人が増えると思うのです。
そういったニーズに対して生の肉体による生の表現をするパフォーミングアート、舞台芸術というものは、ある種のオアシスとして機能していくような気がします。
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ここからは僕自身の妄想なんですが−−−−−
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