見出し画像

平山さんと保井さんのおかげで、写真が嫌いじゃなくなった話


小さな頃から、僕は写真がどうにも嫌いでした。

撮られるのも好きじゃなくって、だからうちの実家には僕の子どもの頃の写真があんまりありません。高校時代の写真なんて特にない。

最近は、写真を撮られるのが仕事っていうのもあるので、昔ほどの抵抗感はなくなりましたが、いまだに、あんまりうまく写れなくってときどきショボンとしてます。30枚ぐらいとれば1枚使えるかなって写真が撮れるぐらいの打率。モデル失格やん。笑


撮ることはさらに苦手。SNSの発信用にがんばって撮ってた時期もあったけど、そもそも「がんばって」撮ってる時点で向いてないんですよね。笑

だって、本当に写真が好きな人は、息をするようにスマホやカメラを構えるから。そういう人たちは、肩の力を抜いてシャッターを押せる。

僕なんかもう、自分で苦手だって思ってるもんだから、うまく撮れないのにうまく撮ってやろうって意気込んで、肩やら首やらガッチガチですよ。カメラを構えてる自分の姿を見られることにも自意識過剰。できれば見つかりたくない。

そんなコソコソ撮ったっていい写真が撮れないなんてのは、当たり前のことで。

がんばって撮ってもうまくならない、だからなかなか好きになれない。まさに負のスパイラルまっしぐら。なんでこんなに写真SNSが流行してしまったんだよこんちきしょう。


そんな僕ですが、先日とあるカメラマンさんの話を聞いて、写真を撮ることに対する心のハードルが、スーッと低くなりました。


写真に興味はあるんだけど、なんか嫌悪感だかアレルギーだかみたいな気持ちが拭いきれない、そんなあなた。

平山さんの話、とりあえず聞いてくださいな。


--------

そう。そのカメラマンさんの名前は、平山さんというのです。

山梨県在住のカメラマンさん。カメラマンというよりはどちらかというと、ガチンコ系のファイトが持ち味のスキンヘッドな小柄プロレスラーみたい。ひたすらパワーボムやバックドロップ的なベーシックな技にこだわってそうな。


すごく面白い人で、コピー機の営業をやっていたこともあるし、3年間山にこもってワインボトルを溶かして花のオブジェの土産物を売って自給自足の生活をしてたこともあるし、作曲やパーカッションでご飯を食べてたこともある。

写真なんて、そんなに好きじゃなくて、だけどある日、結婚する友達から「悪ぃけんど、披露宴で写真撮ってくれん?」と言われてカメラを押し付けられた。

いちおう渡されたけどずっとほったらかしてて、式の前日になってようやく「充電ぐらいしておかないといけんな」ってことで電源コードをつないで。

で、ためしに起動して、ファインダーを覗いて、飼ってた犬に向けてカメラを構えてカシャリとシャッターを押した瞬間、なんかビビビってきたんだって。

そのまま犬を撮り続けて、2時間後には自分のカメラを買いに行ってた。

人生60年だか80年だかわからんけど、そのなかでひとつでも夢中になれることに出会ったのなら、それはすごい奇跡みたいなこと。俺にとっての奇跡はこれなんじゃないか、ってことでカメラの道へ。

東京に出てアシスタントをやって、お師匠さんからいろんなことを教えてもらったみたい。


--------

平山さん曰く

 いい写真が撮れるかどうかってのは、目の前の光景に感動したかどうかが大事。
 魅かれる光景や風景に出会ったら、それを見て、心が動いて、その景色を堪能して、最後の最後に、「いいもん見させてもらいました。ありがとうございました。」ってひとつシャッターを押すのが、写真なんだよ。

とのこと。

かっこよすぎる。大好きすぎる。


たとえば、子どもの運動会とか、朝から並んでカメラの場所取りをして競技中もずっとバシャバシャ写真を撮り続ける人の姿とかにもかなり否定的。

 運動会の写真なんてのは、朝に校門の前で1枚、終わった後に校門の前で1枚、これだけ撮れば充分なんだよ

 競技中は、しっかり見る、じっさいの目で見て、光景を心に焼き付けるだけ

 そうやって自分の目でしっかり見てたら、校門の前で撮った2枚の写真を見返すだけで、その日のことが思い出せるはずなんだ。いい写真ってのはそういうこと

だってさ。もう、惚れるね。


カメラも、シンプルなのがいい。何十万画素とか、すげえズームとか、機関銃みたいなレンズとかはいらない。

写真を撮るときにはさ、何を撮りたいの?
「写真」を撮りたいんでしょ?
「画素」を撮りたいわけじゃないでしょ?
だったら機材はシンプルでいい

これも平山さんの言葉。

単焦点のカメラ構えて、
撮りたい対象が小さいなって思ったら、
近づけばいいんだよ近づけば

もうね、ぐうの音も出ない。確かにその通りだわ。


そんなスペシャルなカメラマン平山さんと出会ってからこっちの僕は、すっかり写真を撮ることへの抵抗感とか、恐怖心とか、緊張感とかが、なくなってしまいました。

むしろ、「自分のカメラ欲しい」って思うくらいに、写真を撮ってみたいっていう気持ちが強くなってきて。

これはね、自分でも驚き。すごい変わりようだなと思いますよ。

でも、いま、ポーンと新しくカメラを買う余裕はない。

だけど、平山さんだったらきっと、「カメラないならないでいいよ、スマホあるんでしょ?」って言う気がするので、数日前からiPhoneで写真を撮るようになりました。


人から見たら恥ずかしいくらい下手くそかもしらないけれど、僕の心が動いた瞬間に「ありがとうございました」をしたくて撮ったもの。下手とかなんとかなんて、知るか!ってなもんです。


--------

カメラを構えるまでの気持ちは、平山さんのおかげでずいぶん滑らかになった。

でもやっぱり、ただシャッターを押しただけの写真は、なんだかぼんやりしていて、まとまりがない。

僕の心が動いたようなそのエネルギーを、どうにもうまく写し出せてない気がする。

そんな悩みをぶっ飛ばしてくれたのは、保井崇史さんというカメラマンです。

takashiyasui.com/about

保井さんの写真、SNSとかでかなり話題で、その色味感っていうのかな、とっても特徴があって

Twitterのタイムラインとかで何気なく流れてきた写真でも、「あ、これきっと保井さんの写真だな」ってわかるぐらいのオリジナリティ。

でね、保井さん、最初は遊びでカメラをはじめたんですって。でも、それがいまは仕事になっている。それはすごいことだ。

特徴的な色味はどうやって表現してるんだろうってずっと思ってたんだけど、その方法論をあっさり公開してた。

つまり、保井さんには着地点が見えているということだ。着地点とは「ここでストップ」というライン。で、それは他の誰でもない、自分が決める。

自分が見据えている着地点に向けて、ハイライトとか、青とか、シャープネスを合わせていく。そうすると、保井さんという個人性がめちゃんこ盛り込まれた写真が生まれる。なーるほど。

スマホで撮った写真とかは、カメラアプリのフィルターとかを使っちゃいがち。いくつもフィルターを試してみて、これじゃない、これじゃないと却下していく中で、「まあこれがイメージに近いかな」っていうのを選ぶ。

でも、アプリのフィルターを使っている時点で、その着地点は「自分ではない誰かが決めたもの」なんだよね。


これに気づいて、僕は、カメラアプリのフィルターを使わずに、ハイライトとかシャープネスとかを自分で調整できる機能を使うことにしました。

そうすると、自分なりに「これだ!」っていうところに写真が落ち着くようになって。

まだまだ保井さんみたいに、統一感のある世界観にはならないんだけど、撮った対象ごとにいろんな着地点を試して楽しんでいるところ。

そのうちひとつの着地点に収束するのかもしれないし、バラバラのままなのかもしれないし。あるいはそこにたどり着く前に写真に飽きているのかもしれないし、それはいまはわかんないけど。


でも、あんなに苦手で、むしろ嫌いだった「写真を撮る」という行為をこんなにドキドキしながら楽しめているのは、平山さんと保井さんという、ふたりのカメラマンの言葉に出会えたから。


ってことで、写真撮りたいけど、写真を撮ることへの嫌悪感も持ってる、というあなたに、おふたりの言葉をシェアします。


読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。