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お抹茶逆輸入時代の到来!?
こんちには!山野靖博です!
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いつからだったか正確な記憶はないが、たぶん去年の秋ごろからだと思う。
抹茶が買いづらくなっている。
新宿のデパートに入っているよく買いにいく茶店の店舗にいくと、店頭に「需要増加のため品薄」という注意書きが出るようになったのが、おそらく秋ごろ。
それにつられてショウウィンドウを見てみると、たしかにいつも並んでいる商品が見当たらない。常時8〜10種類が並んでいたはずなのだが、あるのは2〜3種類といったところ。
それも、稽古用の一番安価なものと、高級ラインの20グラムで1万円近くするようなものという極端な残り方だ。
僕は1〜2週間に1缶のペースで新しい抹茶を開けるので、とてもじゃないけれど20グラム1万円の抹茶を常飲することはできない。いつもはもう少し手頃な、かといってお稽古用ほど気軽すぎないものを選んでいた。
その、いつも選んでいた層の商品がごそっと欠品しているのだ。話を聞くとどうやらこの状態は6月ごろ、つまり新茶の季節が過ぎる頃までは続く見込みだという。
おそらくこれは、インバウンドの影響だと思う。
海外からの観光客が抹茶を買い求めるのだろう。だから国内需要以上の需要が出てきて、在庫がごそっとなくなってしまったのだ。
お茶の葉は残っていても、抹茶に挽く工程が間に合わないという話も聞いた。工場がフル稼働でも生産が追いつかないらしいのである。抹茶を挽くというのは大変に時間のかかる作業なのだそうだ。
工場の稼働が追いつかないからと、販売を担当するお茶屋さんが自ら抹茶を挽き始めたという例もあるらしい。それはそれで、挽きたての抹茶が買えていいなと思うが、工場ほど温度や湿度の管理もできないかもしれないし、通常時の業務に加えて抹茶を挽いたり、商品詰めしたりの仕事が増えたのだ。お茶屋さんもお茶屋さんで大変だろうと思う。
物が売れるというのは、そりゃ売り上げがあがるのだから嬉しいことだと思うが、それに伴う大変さもくっついてくる。また、僕のような一般消費者からすれば、気軽に買えなくなる不便もあるし、なにより今後、品薄によって抹茶の値段がグググと上がったら厳しいなあという気持ちもある。
ところで面白いのは、どんな人が抹茶を買っているのか、という点である。
これは僕の肌感覚なのだけれど、西欧の旅行者よりもアジア、特に中国系の方々がお茶屋さんの店頭に並んでいる光景を見ることのほうが圧倒的に多い。きっと、中国系の旅行者が抹茶を買っているのだ。たぶんね、これは山野調べの範囲です。
しかし、そうなるとこれはちょっと面白いな、と思う。
日本にはもともと、お茶の葉を煎じて飲むという文化はなかった。他の様々な文化と同様に、中国大陸から伝来して広まったのが日本の喫茶文化だ。
当初は薬として伝えられたというが、その飲み方はいろいろに変容していく。
今でいうところの抹茶のようにして飲むスタイルが出てきたのは鎌倉時代から南北朝時代とされていますが、この方式も当時の僧侶が宋に渡って学んできたものを取り入れた様子。
抹茶とは、蒸した茶の葉っぱを粉砕して湯を注ぎ、茶筅で点てて飲むというやり方ですが、不思議なことに日本ではその後、茶葉を挽く石臼の改良が進む。また茶葉自体の栽培方法の工夫が進み、薬的な苦味・渋みが味わいの中心である茶ではなく、旨味や甘みを感じるような抹茶に変化していく。
そして、その頃になると当の中国大陸では、茶を抹茶として飲むというスタイルは全くと言っていいほど見られなくなるのだ。
ここに僕は、強く面白さを感じる。
中国から渡ってきたお茶の飲み方の中で、茶葉を蒸し、それを揉んだりせずにすぐさま乾燥させ、葉脈などの硬い部分を注意深く取り除き、これを石臼にて粉末にする。
この粉末具合もある種狂気が宿っていて、ある時代まではザラザラと舌に粒子を感じる細かさだったと言うが、おそらく美味しさと飲みやすさを追求した結果、石臼の構造を工夫して、まるでお湯に「溶けた」と思わせるほどの滑らかな飲み口の粒子に仕立て上げた。
執念である。より美味しいものを生み出すぞ、という執念である。
日本での抹茶はある時点から茶の湯、のちの「茶道」に欠かせないアイテムとなっていき、この茶道が武士階級や力を持つ商人階級に重宝されたことにより、日本という国にとっても重要な文化として定着する。
茶道が政治や社交の場において重要な役割を果たしたからこそ、日本では「抹茶」というお茶の特殊な飲み方が生き残った。いや、生き残ったどころかより洗練され、独特の文化として開花していった。
しかしその対岸では、もともと抹茶的なお茶の飲み方を発明した中国大陸においては、抹茶的文化は消滅していった。
そして今、日本に旅行にくる中国ルーツの旅人たちが、日本で抹茶を大量に買っていく。彼らにとっては「抹茶の再発見」といっていい事態だ。
日本と中国では「美」の基準が異なっている。
たとえば茶碗でいっても、日本の茶道では不完全な、歪な、偶然性が作用した器がより重宝される傾向がある。対して中国茶のお手前では、より均整の取れた、傷ひとつない、完全体の茶器に価値が見出される。
となると、もしここから中国の文化の中で再び「抹茶」が脚光を浴びていくと、中国的な美的感覚に立脚した茶道が発展していくかもしれない。
あるいは、日本的な茶道の美的感覚の方が中国へ「逆輸入」されていくような未来も、もしかしたらあるかもしれないのだ。
そんな未来を想像しながら、ちょっと面白いなと思っている自分がいる。
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