![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/163372484/rectangle_large_type_2_aa6e1f60dd5ccf05b3898e2351947490.png?width=1200)
白線が引かれるとルールが変わる
「皆、目をさまして!」
心のなかで肩をつかんでゆすり、雪山で「おい、寝るな!」と言うがごとく、クラスメイトの頬をパシッとしている。脳内でだ。
当時も今になっても、どうしても理解が追いつかず混乱しているものがある。
それがあることがわかると、憂鬱でしょうがない。
いつか誰か偉い人が「これはよくない遊びだ」と言ってくれることを願った。
かつて、回旋塔(カイセントウ)が危険視されたように、その競技も同じ目線で見られてほしい。
──ドッヂボールが嫌いだ。
とにかく嫌いだ。
「人を泣かせたらごめんと言いましょう」
「みんなが気持ち良く過ごせるように優しくしましょう」
「人のやることを笑ってはいけません」
みたいな、和を重んじるルールをたびたび先生から聞いてきた。
「人に物を投げるのは止めましょう」も、そのうちのひとつだ。
だが、白線が引かれて赤白帽を被った途端、そのルールは裏返る。
「「「人に物(ボール)を当てた者が覇者になる!!!」」」
人にボールを投げるという遊び自体が嫌。
いざ人にボールを当てん! としているときのクラスメイトの嬉々とした表情が嫌い。
仲良いと思っている子がうれしそうにボールを投げてくる顔を見ると「あれ、実はめちゃくちゃ嫌われている?」と思って嫌。
「人に物を投げてはいけません」と教えていた先生が、まるで過去にそんなことを言っていなかったかのようにその場を仕切っている光景に対して頭が追いつかない。
それに、投げる人の死角に入ってなるべく省エネしているとコートに残ってしまい、目立つのが嫌い。
当たるのが嫌だからボールを取りにいくわけでもなく、時間が過ぎるか当てられるかの二択になるあの時間が嫌い。
相手チームの「当てろ当てろ!」みたいな雰囲気が嫌い。
社会人になり、晴れて魔の競技から抜ける権利を得た。
生まれ変わってもあの競技はしたくない。